2018年5月29日火曜日

イスラエル アロンの家 主を畏れる人

詩編115編と118編を読むとこんな箇所があります。

(以下本日の引用はすべて新共同訳聖書)


イスラエルよ、主に依り頼め。
主は助け、主は盾。
アロンの家よ、主に依り頼め。
主は助け、主は盾。
主を畏れる人よ、主に依り頼め。
主は助け、主は盾。
詩編115編9~11節


イスラエルは言え。慈しみはとこしえに。
アロンの家は言え。慈しみはとこしえに。
主を畏れる人は言え。慈しみはとこしえに。
詩編118編2~4節


これまでこの「イスラエル アロンの家 主を畏れる人」という三つの言葉について特に気にして読んだこともなかったのですが、最近なんとなくこの三つの言葉が気になるようになりました。

で、気になりながらルカによる福音書のイエスさまのご降誕前後の場面を読んでみたら、

ルカによる福音書


1章
5節 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリザベトといった。
11節 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。
26、27節 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。


2章
8節 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
9節 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
27節 シメオンが”霊”に導かれて神殿の境内に入ってきたとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れてきた。
28節 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。


「イスラエル アロンの家 主を畏れる人」のそれぞれが意識される構成?になっているような気がしました。
構成というよりも、秩序と表現する方が適切でしょうか。