2022年12月2日金曜日

バベルの塔とハルマゲドン(2)バベルの塔は復讐のため

先月「石」という言葉についての記事を書きましてその記事の最後に12月25日はニムロドの誕生日だと知ってしまったことを書いたのですが
 
同じく先月は翻訳聖書が改ざんされている疑惑に複数気付くことにもなり、
さらに次の段階に突入してしまった感があります。😩
そんなわけでクリスチャンですがクリスマスなんて祝う気になれません。
いや、クリスチャンであるからこそそういう気になれないのですが
 
そんなこと言ったって伝道の好機なんだよクリスマスは
真実はどうであれクリスマスの「意味」が大切
そんなくだらないこと知らなくていいんだから忘れろ
 
そういう言葉を、
善良なクリスチャンであったころの、すなわち、キリスト集会から落ちこぼれる前のワタクシ=脳内から消すことはできないワタクシ が語りかけてきます。(私の脳内ではいつもいろいろな葛藤があります)
 
 
「ユダヤ古代史」にどれだけの権威があるのか知りませんが、
「石」という記事に引用した文章をもう一度ウィキペディアから引用します。
 
 
 
神にたいし[このような]思いがあった侮辱的な行為に出るよう彼らを煽動したのは、ノーコス(ノア)の子カマス(ハム)の孫で、強壮な体力を誇る鉄面皮人のネブローデース(ニムロデ)だった。彼は人びとを説得して、彼らの繁栄が神のおかげではなく、彼ら自身の剛勇(アレテー)によることを納得させた。そして神への畏れから人間を解き放す唯一の方法は、たえず[彼らを]彼自身の力に頼らせることであると考え、しだいに事態(プラグマタ)を専制的な方向へもっていった。彼はまた、もし神が再び地を洪水でおおうつもりなら、[そのときには]神に復讐してやると言った。水が達しないような[高い]塔を建てて、父祖たちの滅亡の復讐をするというのである。人びとは、神にしたがうことは奴隷になることだと考えて、ネブローデースの勧告を熱心に実行し、疲れも忘れて塔の建設に懸命にとりくんだ。そして、人海戦術のおかげで、予想よりも[はるかに]早く塔はそびえたつことになった。しかもそれは非常に厚く頑丈にできていたので、[むしろ]高さが貧弱に見えるほどだった。素材は焼き煉瓦で、水で流されないようにアスファルトで固められていた。ところで、神は狂気の沙汰の彼らを見ても、[今度は]彼らを抹殺しようとは考えられなかった。最初の[洪水の]犠牲者たちを破滅に導いても、その体験が子孫たちに知恵を授けることにならなかったからである。しかし神は、[彼らに]いろいろ異なった言葉(アログロッソイ)をしゃべらせることによって彼らを混乱(スタシス)におとしめられた。言葉が多様になったため、互いの意志が通じなくなってしまったのである。なお彼らが塔を建てた場所は、[かつてはすべての人が]理解できた[人間の]最初の言葉に混乱(スユンキュシス)が生じたので、現在バビュローン(バビロン)と呼ばれている。というのも、ヘブル人は混乱[のこと]をバベルと呼んでいるからである。この塔[の話]と人間の言葉の混乱(アロフオーニア)に関する[話]は、次のシビュラの言葉にも記載されている。





「ユダヤ古代史」によると、
ハムの孫のニムロデ(ニムロド)は人びとを説得して、彼らの繁栄が神のおかげではなく、彼ら自身の剛勇(アレテー)によることを納得させた、と。

そして神への畏れから人間を解き放す唯一の方法は、人間をニムロデ(ニムロド)の力に頼らせることであると考え、しだいに事態(プラグマタ)を専制的な方向へもっていった、と。
神への畏れから人間を解き放す!?
神を畏れなくする?
ニムロデ(ニムロド)の力に頼らせる?
 
創世記を読んでいるとノアの息子ハム=悪、ハムの子カナン=悪 であることを知るわけですが、
創世記の記述がなぜああいう具合になっているのかと言えば、その後こういうニムロデ(ニムロド)のようなとんでもない反逆者がハムの子孫から出ている事実があったからでしょうか。
まったく、

唯一の神
創造主であられる方を
いったい何だと思っているんだ!!
 
現在進行形で大殺戮を継続している
王たちと王たちの手下もだ!
 
 
 
 
 
そして、まるでエデンの園の蛇が人間の形をとったような邪悪なニムロドはこんなことを言うわけです。
  
彼はまた、もし神が再び地を洪水でおおうつもりなら、[そのときには]神に復讐してやると言った。水が達しないような[高い]塔を建てて、父祖たちの滅亡の復讐をするというのである。
 
バベルの塔の目的がここに示されます。
水が達しないような[高い]塔を建てて、父祖たちの滅亡の復讐をする、
唯一絶対の主に復讐するという目的で建てられた塔!
 
מגדל 塔
 
Strong's Hebrewでは4026、塔という意味のこのヘブライ語はmigdal または migdalahと読むようですが
 
 
Strong's Hebrewで、この単語の前にあるいくつかの単語に目を留めてみると
 
 
4022. meged מֶגֶד excellence 優秀
4023. Mgiddown מְגִדּוֹן a tower 塔
4023a. migdol a tower
4023b. Megiddon or Megiddo a place in Manasseh 
 
ハルマゲドンという言葉を考えるとき、ニムロドという人物の態度や言葉、そしてもたらしたことも頭のどこかにおいておくべきですね。
 
ユダヤ古代史がどの程度信頼できる書であるのかはわかりませんが。
 
で、人びとは、神にしたがうことは奴隷になることだと考えて、ニムロドの勧告を熱心に実行し、疲れも忘れて塔の建設に懸命にとりくんだというのですが
 
 
 
…でもこの話、
教会で誰かが似たようなことを言ってるのを聞いたことがあります。
「神にしたがうことは奴隷になること」っていうような話。
 
いや、神にしたがうことは、とは言っていないんだ。
すり替えられている。

「律法に従うか従わないか」
 
でも、律法は神さまが下さったものですからね、
これは神さまに従うか従わないかと同義です、本当は。
 
で、クリスチャンはそれぞれ所属教会の先生に教えられ、それぞれの結論は持っているわけですが
どっちなんだどうなんだ?
どうすることが正しいのか?
 
ほらやっぱりニムロドはエデンの園の蛇にそっくりだ!
 
エデンの園の蛇から誘惑されたエバにそっくりな迷い。
 
そしてエバは蛇の言葉に耳を傾けて蛇の勧めを聴きいれて食べちゃったわけです。
 
 
 
ニムロドの言葉に聞き従った人々は
 
 
疲れも忘れて塔の建設に懸命にとりくんだ。そして、人海戦術のおかげで、予想よりも[はるかに]早く塔はそびえたつことになった。しかもそれは非常に厚く頑丈にできていたので、[むしろ]高さが貧弱に見えるほどだった。素材は焼き煉瓦で、水で流されないようにアスファルトで固められていた。
 
焼き煉瓦
 
レンガの何が悪いのか、実はずーっと考えておりました。40年くらい考えておりました。
でもヘブライ語でTorahに親しむようになってもしかしたら…と気付きました。
石ではなくてレンガにしたというのは非常に象徴的なのです。
ひとつには「石」という記事で書いた内容のとおりで
「神こそが岩」であると考えると「石」とはどういうものであるか、ということになるわけです。
そして、その代替物としてのレンガ。
レンガとは土をこねて作るものですね
アダマ(土)と言えばアダム(人)です。
レンガとは創造主である唯一の神を捨て、人間の知恵と力により頼むこと
人間の知恵と力が
創造主を超える!と考え、人間の教えを尊び、守り行うことですね。
 
 
 
ムーンショット目標を思い出します。
 
そして、
想像以上のスピードで変異を繰り返してしまう生物と無生物の中間にあるものを人為的に制圧できるとか思っている
ニムロドのような発想の
人間の愚かさを思います。
 
 
 
ニムロドを信奉する人々よ、
ミカ書にあなたがたの大好きなニムロド(ニムロデ)という名が登場します。
 
日本語の聖書様サイトより口語訳聖書ミカ書5章1~15節を引用させていただきます。
 
5:1今あなたは壁でとりまかれている。
敵はわれわれを攻め囲み、
つえをもってイスラエルのつかさのほおを撃つ。
5:2しかしベツレヘム・エフラタよ、
あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、
イスラエルを治める者があなたのうちから
わたしのために出る。
あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、
イスラエルを治める者があなたのうちから
わたしのために出る。
その出るのは昔から、いにしえの日からである。
5:3それゆえ、産婦の産みおとす時まで、
主は彼らを渡しおかれる。
その後その兄弟たちの残れる者
イスラエルの子らのもとに帰る。
5:4彼は主の力により、
その神、主の名の威光により、
立ってその群れを養い、
彼らを安らかにおらせる。
今、彼は大いなる者となって、
地の果にまで及ぶからである。
その神、主の名の威光により、
立ってその群れを養い、
彼らを安らかにおらせる。
今、彼は大いなる者となって、
地の果にまで及ぶからである。
5:5これは平和である。
アッスリヤびとがわれわれの国に来て、
われわれの土地を踏むとき、
七人の牧者を起し、
八人の君を起してこれに当らせる。
5:6彼らはつるぎをもってアッスリヤの地を治め、
ぬきみのつるぎをもってニムロデの地を治める。
アッスリヤびとがわれわれの地に来て、
われわれの境を踏み荒すとき、
彼らはアッスリヤびとから、われわれを救う。

5:7その時ヤコブの残れる者は多くの民の中にあること、
人によらず、また人の子らを待たずに
主からくだる露のごとく、
青草の上に降る夕立ちのようである。
5:8またヤコブの残れる者が国々の中におり、
多くの民の中にいること、
林の獣の中のししのごとく、
羊の群れの中の若いししのようである。
それが過ぎるときは踏み、かつ裂いて救う者はない。
5:9あなたの手はもろもろのあだの上にあげられ、
あなたの敵はことごとく断たれる。
5:10主は言われる、その日には、
わたしはあなたのうちから馬を絶やし、
戦車をこわし、
5:11あなたの国の町々を絶やし、
あなたの城をことごとくくつがえす。
5:12またあなたの手から魔術を絶やす。
あなたのうちには占い師がないようになる。
5:13またあなたのうちから彫像および石の柱を絶やす。
あなたは重ねて手で作った物を拝むことはない。
5:14またあなたのうちからアシラ像を抜き倒し、
あなたの町々を滅ぼす。
5:15そしてわたしは怒りと憤りとをもって
その聞き従わないもろもろの国民に復讐する。
その聞き従わないもろもろの国民に復讐する。
 
 
口語訳聖書の訳に納得がいかないので
 
ミカ書5章6節をヘブライ語聖書から引用します。
ורעו את ארץ אשור בחרב ואת ארץ נמרד בפתחיה והציל מאשור כי יבוא בארצנו וכי ידרך בגבולנו׃
Strong's Hebrew 7489が ורעו という形で文頭にありますね。これを口語訳は治めると訳しているように思いますけれど、7489番というのは 粉々に打ち砕いてしまうこと。
治めるどころの話ではないはずだと思います。
明治訳の「ほろぼし・・・ほろぼさん」の方が適切であるような気がします。
彼ら劍をもてアッスリヤの地をほろぼしニムロデの地の邑々をほろぼさん アッスリヤの人我らの地に攻いり我らの境を踏あらす時には彼その手より我らを救はん  明治訳 米迦(ミカ)書5章6節