イザヤ書28章に登場するゼエルזעירについて考えていました。
そして、ふと、
ガザ(アザ)がעז(アズ)というアインとザインという文字を含む語であることを思い出しました。
עז(アズ)という言葉はStrong's Hebrew 5794で獰猛な、凶暴な…という意味です。
ゼエルזעיר頭2文字はこのעז(アズ)の逆の配列だと気付きました。
で、そういった場合にどういう現象が起こるのか、と思いました。
現象というとおかしな表現になりますが、
アインとザインの順番が入れ替わると単語の意味にはどういう変化がみられるのか、という意味です。
イザヤ書28章に登場するゼエルזעירを考えればlittleというDefinitionなので、凶暴な感じはしないわけですが、
他はどうなのだろうと。
ゼエルזעירはStrong's Hebrew 2191なので、そのあたりを探してみました。
2188番にזֵעָהという単語があり、これはたった一度、創世記3章19節に登場する「汗」というところに使われています。עז(アズ)後にה(ヘー)が付くとガザ地区のガザという意味で凶暴そうなニュアンスがあるわけですが、文字の順番をひっくり返したזעの後にה(ヘー)が付くと「額に汗して働く」という時の「汗」になるわけです。否応なしに従わせられている感じとでも言いましょうか。
次の2189番はזַעֲוָהです。これは申命記とエゼキエル書に一回ずつ合計2回登場する言葉です。
申命記28:25に一回あるはずなのですが…
口語訳聖書には見当たらないのでKJV。太字にしたremoveのあたりが2189番です。
The LORD shall cause thee to be smitten before thine enemies thou shalt go out one way against them and flee seven ways before them and shalt be removed into all the kingdoms of the earth 申命記28:25(KJV)
そしてエゼキエル書23:46
これも口語訳だとわかりにくいのでKJVを。太字にしたremoveのあたりが2189番です。
For thus saith the Lord GOD I will bring up a company upon them and will give them to be removed and spoiled エゼキエル書23:46(KJV)
2189番も2188番同様で、本人が好まないとしても無理矢理そういうことをされるというニュアンスを感じます。
2190番はזַעֲוָן Zaavanという地名です。
2191番はイザヤ書28章の言葉で、
2192番はダニエル書7章8節の「小さい角」の「小さい」というところに使われている単語です。
続いて2193番זָעַךְ これはヨブ記17章1節に一度だけ使われている単語でDefinitionは to extinguish 「消す」
口語訳聖書でここを読むと「わが霊は破れ、わが日は尽き、墓はわたしを待っている。」と書いてあり、なかなか読み取るのが難しいですがKJVで見るとMy breath is corrupt my days are extinct the graves are ready for meとあるので口語訳の「尽き」となっているところが2193番だと思われます。
「わが日は尽き」にしても、「my days are extinct」にしても、ヨブ自身が好き好んで終わりにしたり消したりしているわけではありません。
そんな風に考えるとダニエル書の「小さい角」の「小さい」という言葉も好き好んで小さいわけではないが、というニュアンスを含んでいる可能性があるかもしれません。
そうなってくるとイザヤ書28章のlittleにもそういうニュアンスが含まれているのかもしれません。
続いて2194番זָעַם これは12回登場する言葉で、Definitionはto be indignant
「憤慨する」
そして2195番はזַעַם これは「憤り」で全部で21回登場する言葉ですが、イザヤ書にも10章5節と25節、13章5節、30章27節に登場し、主の憤りがこの単語で表現されています。
2196番זָעַף 「腹を立てる」
これはたとえば歴代誌下26:19に登場します。
するとウジヤは怒りを発し、香炉を手にとって香をたこうとしたが、彼が祭司に向かって怒りを発している間に、らい病がその額に起った。時に彼は主の宮で祭司たちの前、香の祭壇のかたわらにいた。
以下御言葉を引用しませんがזעという文字列によって伝えられるものがなんとなく理解できるような気がしてきます。
2197番זַעַף 激怒
2198番זָעֵף 不快でイライラする
2199番זָעַק 泣く、叫ぶ、呼ぶ
2200番זָעַק 泣く、呼ぶ
2201番זַעַק 泣き声
ちなみに、littleに似た意味の単語はゼエルזעיר以外にもあります。
6996番のקטןという単語です。
小さい、若い、重要ではないという意味で用いられています。
イザヤは6996番קטןという言葉を使わない人ではなく、
例えば11章6節のところには ונער קטן と書いていて
これは「小さい子供」という意味です。
11章というのはメシア預言として良く知られている「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。」という言葉から始まる章です。
あとほかに4箇所קטןの使われている箇所がイザヤ書にはあり
22:24「小さい器」
HEB: כֹּ֖ל כְּלֵ֣י הַקָּטָ֑ן מִכְּלֵי֙ הָֽאַגָּנ֔וֹת
KJV: all vessels of small quantity, from the vessels
36:9「小さい一隊長」
HEB: עַבְדֵ֥י אֲדֹנִ֖י הַקְטַנִּ֑ים וַתִּבְטַ֤ח לְךָ֙
KJV: captain of the least of my master's
54:7(口語訳聖書には「しばしば」と訳されていますが、「小さい」という単語なのですから、ほんのわずかの間、ごくわずかの間、瞬間、と訳す方が良いような気がします)
HEB: בְּרֶ֥גַע קָטֹ֖ן עֲזַבְתִּ֑יךְ וּבְרַחֲמִ֥ים
KJV: For a small moment have I forsaken
60:22「最も小さい者」
HEB: הַקָּטֹן֙ יִֽהְיֶ֣ה לָאֶ֔לֶף
KJV: A little one shall become a thousand,
以上のことを踏まえるとき、ゼエルזעירを「少し」という日本語に迷いもなく置き換え、そうであると言い切ることにはちょっと抵抗を感じます。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
マタイによる福音書7章7節(口語訳)