漆黒の闇はどす黒い悪を覆い隠し、小さな光は悪意に囲まれ圧し潰されてしまうかのように見えます。
そして昭和生まれの婆さんだから・・・なのか
次から次へと本当にわけが分からぬことばかり。
気分はエレミヤ4章23節のようです。
私は地を見た。そこは混沌であり天には光がなかった。
エレミヤ書4章23節 聖書協会共同訳
「混沌」とは、物事が入り混じって区別する事が出来ない無秩序状態を表現する言葉です。そして、どんなときでも開き、私たちを包み込んでくれていたはずの空に光るものは無く、天までもが闇になってしまっていたのだとエレミヤは語ります。
「混沌」と翻訳されているところはヘブライ語聖書には
תהו ובהו トーフー ヴァ ボーフーと書いてあります。
「トーフー」とは形のない状態や空虚な状態を表す言葉
ヴァボーフーとは、「ヴァ」は英語ではandのことで、「ボーフー」は空虚または虚無を表しているとBerean Strong's Lexiconには書いてあります。
ところで、このתהו ובהו トーフー ヴァ ボーフーという表現ですが
実は聖書の中にもう一か所、全く同じ表現で存在しています。
それは創世記1章2節です。
地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」すると光があった。
神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、
創世記1章2~4節 聖書協会共同訳
これらのことから、
トーラーを熟知しているはずのエレミヤが4章23節で述べていたのは、創世記1章2節で語られている「ありさま」であろうと推察できます。
さて、
トーラーの最初の書である創世記の冒頭、つまり創造主による創造とは、「分けることと線引きすること」それが基本です。
創世記1章の3節から8節までの箇所を聖書協会共同訳聖書から引用します。
神は言われた。「光あれ。」すると光があった。
神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。「水の中に大空があり、水と水を分けるようになれ。」
神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを分けられた。そのようになった。
神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
創世記1章3~8節 聖書協会共同訳聖書
創造には5段階の過程があるように思えます。
1.「光あれ。」まず、神さまが御言葉によって御心を宣言されます。
2.「すると光があった。」御心のとおりのものが現れ、存在するようになります。
3.「神は光を見て良しとされた。」神さまはお造りになられたものについて評価(認証)されます。
4.「神は光と闇を分け」そして「良し」となったものをそれ以外の物と「分け」るということをなさいます。
5.「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。」お造りになられたものに「名前」を付け、それ以外の物と区別されます。
そしてこの「創造」における「分けることと線引きすること」こそが
「聖」という思想の土台であり、根幹をなしているのだ、と私は考えます。
なぜなら、「聖」とは、他のものとは異なるということをはっきりさせ、分離する、切り離す、という言葉だからです。
神聖にする、神聖として扱う、神聖として区別する、聖別する、神聖化する、浄化する
という意味を持つギリシャ語
Strong's Greek 37 ἁγιάζω hagiazó は
Strong's Greek 40 ἅγιος hagios から派生した言葉だと辞書にあります。
この40番 ἅγιοςhágiosの基本的な(中核的な)意味は「異なる」というものです。
世にあるほかのものとは異なる、区別されているものという意味で
それは「主にとって特別なもの」という意味となり「聖」ということになります。
したがって、エレミヤ書4章23節に語られている「地」の様子は、
創世記が語る「分類と線引き」が破壊されてしまった結果の光景であるということです。
物理についても生物についても、そして、観念的なことについても、
世にある全ての物事が、境目を失って入り混じり、
それはちょうど創造以前のもの
תהו ובהו トーフー ヴァ ボーフーになってしまった
そういうことです。
そして、それはつまり創世記という トーラー=神さまの教え をないがしろにした結果であるということです。
イエスさまが福音書でこのようにおっしゃったことがありますが
よく言っておく。天地が消えうせ、すべてが実現するまでは、律法から一点一画も消えうせることはない。
マタイによる福音書5章18節
まずは神さまのお名前が消えてしまうのです。
ちなみに
エレミヤ書4章23節にある「光」というところはヘブライ語で
אוֹרָ֑ם オウラム と書かれています。
光という単語がこの形で聖書に現れるのは3回で、
それはこのエレミヤ書とイザヤ書「バビロンについての託宣」という章と、そしてヨブ記「主は嵐の中からヨブに答えられた」という章のところです。
空の星と星座は光を放たず
太陽が昇っても暗く、月もその光を照らさない。
イザヤ書13章10節悪しき者どもからその光は取り去られ
振り上げた腕は折られる。
ヨブ記38章15節
(つづく)