2022年10月19日水曜日

シャマイム

昨夜は雨が降りましたが、今朝は晴れました。
青い空に白い雲。
はじめに神は天と地とを創造された。創世記1章1節(口語訳)



創世記1章1節の「天」という言葉はヘブライ語でשָׁמַיִםシャマイムと書かれています。
厳密に言うとシャマイムの前にהַがついています。
הַは英語で言うThe、定冠詞のように訳されていますが、
この「ヘー」というヘブライ文字はアブラムに足されてアブラムになる文字であり、
神聖四文字の中には2度も使われている文字であり、
חָיָה生きるという単語の中に含まれている文字であり
חָוָה宣言するという単語の中に含まれている文字です。
 
神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。創世記1章14,15節(口語訳)
日本語の聖書で読むと見落としがちですが、創世記1章14節15節には「天のおおぞら」という表現があります。
「天」と「おおぞら」という区別(線引き)があるということです。
日本語では「天高く馬肥ゆる秋」と言われると、秋晴れの空をまずイメージしますけれども
つまり、日本語で天と空に区別は…
あ、天国は空国にはなりえないから宗教関係では一応区別はあるのか・・・
まあ日本語でも区別するときには区別するようですけれどもww
 
この1章14節15節は
ברקיע השמים
こう書いてあって、右側から読みますが、
בラキア、 הシャマイム」
ということで、
ラキアとはexpanse「広がり」という意味があり、בラキアということですから、
ラキアというところに、シャマイムが広がって拡張された天体のある宇宙空間ということでしょうか、そこに神さまが太陽と月を「創造され」「役割を決め」「セット」された、わけですね。
 
 
ちなみにラキアは、
頭という言葉に由来するר(レーシュ)、カデシュ(聖)という言葉に使われているק(クフ)という文字と、神さまの御手を表すי(ヨッド)、もともとは目の形からできた文字で、鳥や木という単語にも使われていることから、「高いところ」というニュアンスを感じさせる文字であるע(アイン)が含まれていますから、「神さまが造られた」「一番」「高く」て「聖い」場所であるということなのでしょうか。
 
天=シャマイムという単語は
「天」という文字を見ても「シャマイム」というカタカナを見ても見えませんが
ヘブライ文字で書かれたシャマイムשמיםには「水」が入っています。
מיםマイムです。仮庵の祭りでもおなじみ、日本でもフォークダンスで踊る「マイムマイム」のマイム。
マイムは水です。
もっと言うとマイムという単語はמ(メム)とים(ヨッドとメムソフィート)がでできています。メムは波の形からできた文字で、「水」を表し、יםには「海」という意味があります。
水にשが付いているのがシャマイム。
שについては前に「s音とsh音は大違い」という記事で書いたことがありますが
イエスさまのお名前は本当はイエシュア、モーセの名前は本当はモシェ、セム族はシェムで、
このsh音のところに使われている文字がシャマイムのシャで、ש(シン)です。ニクダーを付ける場合は文字の右上に点一つ。
ש(シン)という文字は、こんなふうにヘブライ語の中では神さまに関係する大切なところに使われている文字でありますが、
歯の形が由来という話があり、「いっぱいある」イメージであったり、
歯なので、「一緒に食事をする」=親しい交わり というようなイメージが読み取れるような気がしています。
そんなことを考えつつ、シャマイムという言葉を考えると、
「水がいっぱいある」感じとか、
とても親しい間柄である父なる神さまが地を覆い、地のどこにあっても神さまが覆ってくださっている、そんな感じが見えてくる感じがします。
青い空を見上げるとき、父なる神さまを思い出し、
そして白い雲を見る時、出エジプト記に描かれる神さまと
マタイ24章で語られた主のご再臨を思います。
 
そして、神さまのいらっしゃる天と私たちの住んでいる地は
イエスさまの十字架によって断絶がなくなり元のように一つにつながりました。
イエスさまの十字架によってエデンの園に入れるようになったという話を「エデンの園そしてイエスさま」という記事で書きましたが、天と地は創世記1章1節の御言葉の通りになりました。
 
בראשית ברא אלהים את השמים ואת הארץ׃
↑これは創世記1章1節ですが、後半にある以下の部分に着目します。

את השמים ואת הארץ
右側から読みます。
聖書ヘブライ語における「את 」エト Strong’s853については一般的には意味不明な単語とされていますが、以前書いた通り、私は勝手に「神さまがクリエイトされた大切なもの、完璧なものだからつけくわえることも削ることも許さない」と読んでいます。  
そして1章1節の「天と地」はこういう書き方がされています
日本語なので左側から書きます。
「エト הシャマイム וエト הアレツ」
 
「地」を意味するアレツ(エレツ)の前に וヴァヴがあります。
ヴァヴという文字はフック(鉤)の形からできたもののようですが、この文字は一文字で英語で言うとandという意味で用いられます。
ただ、andというと、A and Bと書かれた時、Aという独立したものが一つあり、Bというもう一つの独立したものがあって、AとBと並ぶように思えますが、例えば、「テーブル」「椅子」、という具合にそれぞれのものがあって並んでいる感じ。しかし、ヴァヴの場合はandとは言っても互いが独立してバラバラではなく途切れることなく続いているイメージが含まれているような気がします。
というのはヘブライ語の聖書の御言葉は、例えば創世記1章を見ると、2節以降文頭がみんなוヴァヴ。つまり文頭はいつも「そして」です。
日本語の作文では悪文とされるような書き方です。
しかし、このこだわりと言うかこの徹底ぶりを見ていると
著者の強いメッセージが聞こえてくるのです。
絶対に途切れることのない永遠から永遠、絶対途切れることのない神さまの国、
神さまはおひとり、唯一の神の創造そして支配。
 
 
創世記1章の各節の頭を引用してみますのでご覧ください。1節は先頭なので2節から。
右側から読みます
2節 וְהָאָ֗רֶץ
3節 וַיֹּ֥אמֶר
4節 וַיַּ֧רְא
5節 וַיִּקְרָ֨א
6節 וַיֹּ֣אמֶר
7節 וַיַּ֣עַשׂ
8節  וַיִּקְרָ֧א
9節 וַיֹּ֣אמֶר
10節 וַיִּקְרָ֨א
11節 וַיֹּ֣אמֶר
12節 וַתּוֹצֵ֨א
13節 וַֽיְהִי־
14節 וַיֹּ֣אמֶר
15節 וְהָי֤וּ
16節 וַיַּ֣עַשׂ
17節 וַיִּתֵּ֥ן
18節 וְלִמְשֹׁל֙
19節 וַֽיְהִי־
20節 וַיֹּ֣אמֶר
21節 וַיִּבְרָ֣א
22節 וַיְבָ֧רֶךְ
23節 וַֽיְהִי־
24節 וַיֹּ֣אמֶר
25節 וַיַּ֣עַשׂ
26節 וַיֹּ֣אמֶר
27節 וַיִּבְרָ֨א
28節 וַיְבָ֣רֶךְ
29節 וַיֹּ֣אמֶר
30節 וּֽלְכָל־
31節 וַיַּ֤רְא
2章1節  וַיְכֻלּ֛וּ
 
 
 
こうやって、
ヴァヴのニュアンスをとらえると、「天と地とを創造された」というこの「天と地」は、漠然と天and地という具合に並列されているものではなく、また、天があっちで地がこっちという具合にバラバラに存在したものでもなく、続いているもの、ひとつのもの、一体のもの、のように見えてくる。
天と地いう名を付けられ、それぞれに明確な区別はあり、それぞれの意味はあるけれども、一体のものである、ちょうど男女の結婚のように。
 
で、
もともとは一体であった天と地が蛇の誘惑のゆえに断絶してしまった、が、
御子の十字架により断絶がなくなり
人々の中心に聖霊なる神さまが住まわれたことによって
王である神さまの御言葉、神の国のルールである教えが人々の中心に置かれ
 
天の国(神の国)、国家が完成!


 

昨夜の雨水がサルビアレウカンサの花の上に載っていました。

雨が地をうるおし植物が生き生きとしている朝でした。
水は大空の陽の光を反射して光っています。
 
花は神さまが与えてくださったルール(DNAの塩基配列)の通りにきれいな花を咲かせる
人も神さまが創造された時に期待された通りの生き方をする
それが天の国(神の国)です。