2019年4月16日火曜日

【調べ学習】杖について聖書辞典と本で調べてみた

今日も朝から杖について考えておりました。
で、そろそろ辞典を見てもいいかな、ということで
いのちのことば社から1985年に発行された新聖書辞典で調べてみました。


辞典にはまず、杖には四つのヘブライ語(辞典本文ではヘブル語となっている)があると書いてあります。

マッケール、マッテ、ミシュエネス、シェーベトゥで4つともほぼ同じ意味だそうです。

ギリシャ語で杖はラブドスと言うのだそうです。

で、ちょっと驚いたのは、杖はときとして鞭と同義だと書いてあったこと。
でそれについては詩篇23:4が示されていました。

前回疑問だったレビ記の27章とエゼキエル書の20章のところの杖の下をくぐるとか杖の下を通らせるという表現についても辞典には言及があり、
羊の数を数えるということのようでした。そこから、神の選民を数えるときにも象徴的に使われ、
あとは、黙示録21章15,16節の、新改訳聖書では「さお」と訳され、新共同訳聖書では「ものさし」と訳されているものが元の言葉としては「杖」??

辞典にそう書いてあったのでBIBLE HUBでギリシャ語を検索したのですが…
黙示録21章15,16節のところ「さお」「ものさし」はκάλαμον、καλάμῳと書いてあり、https://biblehub.com/greek/2563.htm
見渡しても杖という意味のῥάβδος rhabdos(ラブドス)がない。

Revelation 21:15
https://biblehub.com/texts/revelation/21-15.htm
Καὶ ὁ λαλῶν μετ’ ἐμοῦ εἶχεν μέτρον κάλαμον χρυσοῦν, ἵνα μετρήσῃ τὴν πόλιν καὶ τοὺς πυλῶνας αὐτῆς καὶ τὸ τεῖχος αὐτῆς.
Revelation 21:16
https://biblehub.com/texts/revelation/21-16.htm
καὶ ἡ πόλις τετράγωνος κεῖται, καὶ τὸ μῆκος αὐτῆς ὅσον τὸ πλάτος. καὶ ἐμέτρησεν τὴν πόλιν τῷ καλάμῳ ἐπὶ σταδίους δώδεκα χιλιάδων· τὸ μῆκος καὶ τὸ πλάτος καὶ τὸ ὕψος αὐτῆς ἴσα ἐστίν.


κάλαμον、καλάμῳは
NASB の翻訳では
measuring rod , pen , reed , rod と訳されており、 reedとは、葦のことですよね・・・。杖と言うよりも棒・・・。

で、聖書協会の検索で杖という語を検索してみたところ
黙示録21章ではなく、
黙示録11章1節のこのみことばが辞典の言うところの杖がものさしとしているされている箇所ではないかと思いました。

それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。 

この11章1節のみことばのギリシャ語をBIBLE HUBで調べたところ、


Καὶ ἐδόθη μοι κάλαμος ὅμοιος ῥάβδῳ, λέγων· Ἔγειρε καὶ μέτρησον τὸν ναὸν τοῦ θεοῦ καὶ τὸ θυσιαστήριον καὶ τοὺς προσκυνοῦντας ἐν αὐτῷ.
と書いてありました。
https://biblehub.com/texts/revelation/11-1.htm




辞典では、
杖の用途として
人が歩くとき、羊を保護するとき、
武器として、
羊を数えるとき、子どもを懲らしめたり奴隷に対してつかわれていたとし、

また、神の怒りを表したり、権威の象徴として、杖という言葉が用いられていると書かれていました。


あと、今日は1979年に発行された
「羊飼いが見た詩篇23篇」
W・フィリップ・ケラー 著/ 舟喜順一 訳
という本の110ページから123ページ、「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」という項を読んでみました。
ものすごく深い話で感動し、そして驚きました。


「杖の下を通る」ということは上で書きましたように羊を数えることには違いないようなのですが、この本の著者W・フィリップ・ケラー氏によると、
杖の下を通るということで、まずは「所有者の支配と権威の下に入る」という意味があるらしいのですね。で、それは具体的には「所有者である彼の注意深い、細かい、直接の検査を受けるということ」「念入りな注意をもって、健康を確かめるために調べられた」ということのようなのですね。
羊は毛が長いために病気や傷を探し出すのが大変らしいのですが、良い羊飼いは羊が囲いを出て門を通るときに、一頭一頭「棒」で止め、「棒」で毛をあけ注意深く調べるのだそうです。
また、羊飼いにとって「杖」とは
羊を引き寄せて親しい関係に入れるための道具として
羊を打つのではなくやさしく脇腹にさわり、親しく触れ合いながら導いていくための道具として
羊が緑の草をむさぼって海に落ちてしまったときや、同じような理由で野ばらやいばらの中で毛がからまって動けなくなってしまったときに救い出す道具として
使うものなのだそうです。


本には、私たちにとっての「杖」が何であるのか、
そこまでの言及もあり


深い深い神さまの愛をあらためて知ることができました。


2019年4月15日月曜日

【調べ学習】詩編2編の鉄の杖

詩編2編9節
お前は鉄の杖で彼らを打ち 陶工が器を砕くように砕く。」


詩編2編9節鉄の杖の「杖」という語はבְּשֵׁ֣בֶטでbə·šê·ḇeṭ
https://biblehub.com/hebrew/beshevet_7626.htm
詩編2編9節のほか
Judges 5:14
2 Samuel 7:14
Isaiah 11:4
Lamentations 3:1
で使われています。

そのほかの「杖」という単語でBIBLE HUBを見ていて気になったものをピックアップします。日本語の聖書は口語訳です。

Psalm 110:2 maṭ·ṭeh
https://biblehub.com/hebrew/matteh_4294.htm
HEB: מַטֵּֽה־ עֻזְּךָ֗ יִשְׁלַ֣ח
主はあなたの力あるつえをシオンから出される。
あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。

Psalm 23:4 šiḇ·ṭə·ḵā
https://biblehub.com/hebrew/shivtecha_7626.htm
HEB: אַתָּ֥ה עִמָּדִ֑י שִׁבְטְךָ֥ וּ֝מִשְׁעַנְתֶּ֗ךָ הֵ֣מָּה
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

Psalm 89:32 ḇə·šê·ḇeṭ
https://biblehub.com/hebrew/veshevet_7626.htm
HEB: וּפָקַדְתִּ֣י בְשֵׁ֣בֶט פִּשְׁעָ֑ם וּבִנְגָעִ֥ים
わたしはつえをもって彼らのとがを罰し、
むちをもって彼らの不義を罰する。

Micah 5:1 baš·šê·ḇeṭ
https://biblehub.com/hebrew/bashshevet_7626.htm
HEB: שָׂ֣ם עָלֵ֑ינוּ בַּשֵּׁ֙בֶט֙ יַכּ֣וּ עַֽל־
今あなたは壁でとりまかれている。
敵はわれわれを攻め囲み、
つえをもってイスラエルのつかさのほおを撃つ。

Micah 7:14 ḇə·šiḇ·ṭe·ḵā
https://biblehub.com/hebrew/veshivtecha_7626.htm
HEB: רְעֵ֧ה עַמְּךָ֣ בְשִׁבְטֶ֗ךָ צֹ֚אן נַֽחֲלָתֶ֔ךָ
どうか、あなたのつえをもってあなたの民、
すなわち園の中の林にひとりおる
あなたの嗣業の羊を牧し、
いにしえの日のようにバシャンとギレアデで、
彼らを養ってください。



杖という言葉を調べていてレビ記の27章とエゼキエル書の20章のところで
杖の下をくぐるとか杖の下を通らせるという表現に出会いました。
Leviticus 27:32 haš·šā·ḇeṭ
HEB: יַעֲבֹ֖ר תַּ֣חַת הַשָּׁ֑בֶט הָֽעֲשִׂירִ֕י יִֽהְיֶה־
牛または羊の十分の一については、すべて牧者のつえの下を十番目に通るものは、主に聖なる物である。
Ezekiel 20:37 haš·šā·ḇeṭ
HEB: אֶתְכֶ֖ם תַּ֣חַת הַשָּׁ֑בֶט וְהֵבֵאתִ֥י אֶתְכֶ֖ם
わたしはあなたがたに、むちの下を通らせ、数えてはいらせ、あなたがたのうちから、従わぬ者と、わたしにそむいた者とを分かち、その寄留した地から、彼らを導き出す。しかし彼らはイスラエルの地に入ることはできない。こうしてあなたがたはわたしが主であることを知るようになる。
https://biblehub.com/hebrew/hashshavet_7626.htm
杖の下をくぐるとか杖の下を通らせるとは、これまで全く意識したことがありませんでしたが「分ける」という意味なのでしょうか、羊は右で山羊は左というような感じの・・・?


そのほか、日本聖書協会の検索を利用し杖という語を検索した結果
ちょっと気になった箇所

イザヤ書14章5節
主は、逆らう者の杖と 支配者の鞭を折られた。

イザヤ書36章6節
今お前はエジプトというあの折れかけの葦の杖を頼みにしているが、それはだれでも寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは、自分を頼みとするすべての者にとってそのようになる。

イザヤ書10章24節
それゆえ、万軍の主なる神はこう言われる。「シオンに住むわが民よ、アッシリアを恐れるな。たとえ、エジプトがしたように 彼らがあなたを鞭で打ち、杖を振り上げても。

 
イザヤ書9章3節
彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を あなたはミディアンの日のように 折ってくださった。 


エレミヤ書48章17節
周囲の民よ、皆モアブのために嘆くがよい。その名を知っている者はすべて 「威力の笏、栄光の杖は折られた」と言え。

哀歌3章1節
わたしは 主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者。

エゼキエル書21章15節
殺戮のためにそれは研がれ 稲妻のように磨かれた。我らは喜びうるか わが子の王笏が 他のすべての杖を侮るのを。

エゼキエル書21章18節
それは試みを経たものである。もし、それが侮る杖でないとしたら、一体何であろう、と主なる神は言われる。

出エジプト記4章20節
モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。
民数記17章17節
イスラエルの人々にこう告げなさい。彼らのうちから、父祖の家ごとに杖を一本ずつ取りなさい。すなわち、彼らの父祖の家の指導者すべてから十二本の杖を取り、その杖におのおのの名前を書き記し、


杖は

モーセの杖、アロンの杖であらわされた主のみわざを想起させるものであったり、
王のように権力のある者の力を思い起こさせるものであったり、
杖の下をくぐるという表現で見たような選別するようなニュアンスがあったり、
主の怒りを表す杖であったり、

これまで私は詩篇23篇のこの箇所などを
「私は羊だから」程度の気分でさらっと読み流していましたが

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。(口語訳)

 いろいろなみことばにおける杖という言葉を眺め渡した場合に、
あなたのむちと、あなたのつえがどうしてわたしを慰めることになるのか
ということについて
単に「私は羊だから」ではないもっと深い部分があるのだ、と思うに至りました。

で、そういうこと全部を合わせてみて、
その上で「鉄の杖」と考えたとき、

材質が木ではなく、鉄であるということによって
「ただ事ではない事態」「とんでもないおそろしさと強さ」を
調べる前よりも感じております。

2019年4月9日火曜日

【調べ学習】白い馬に乗っている者の冠(黙示録6章と黙示録19章)

小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
ヨハネの黙示録6章1~2節(口語訳)


日本の個人や教会のいろいろなサイトを見ていたら黙示録6章に出て来る白い馬に乗っている者について、本物のキリストだと言っている方と偽キリストだと言っている方がおられ、
特に何も考えることもなく読み過ごしていた「教会にも行かず年数だけ長い信者」の私は驚いてしまいました。
で、ヨハネの黙示録の19章に登場する白い馬に乗っている者が本物のキリストである、という点では共通していて、
論点は騎手の「冠」という言葉のギリシャ語と
あとは持ち物。
6章の人は鉄の杖ではなく弓を持っているのでニセモノだという話と、
あと真偽はともかく弓はあるのに矢はどこだ?と言っている方がいらっしゃったので
なんだかとても興味をひかれました。
なので、6章と19章の冠と6章の弓、または矢、鉄の杖について
自分でも調べてみることにしました。



まずはBIBLE HUBで調べてみました。
黙示録6章2節の冠についてはギリシャ語でστέφανος
https://biblehub.com/greek/4735.htm
stephanosというらしいのですが
(ステパノさんの名前に似てる)

BIBLE HUBで見られるEnglishman's Concordanceによれば
この言葉と派生語は
箇所と回数について引用させていただきますとこのように書かれていました。

*この項の口語訳聖書はhttp://bible.salterrae.net/ さまからコピペさせていただきました。

Matthew 27:29
27:29また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。

Mark 15:17
15:17そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、

John 19:2
19:2兵卒たちは、いばらで冠をあんで、イエスの頭にかぶらせ、紫の上着を着せ、

John 19:5
19:5イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人だ」。

1 Corinthians 9:25
9:25しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。

Philippians 4:1
4:1だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい。

1 Thessalonians 2:19
2:19実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。

2 Timothy 4:8
4:8今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

James 1:12
1:12試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。

1 Peter 5:4
5:4そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。

Revelation 2:10
2:10あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。

Revelation 3:11
3:11わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。

Revelation 4:4
4:4また、御座のまわりには二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。

Revelation 4:10
4:10二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、

Revelation 6:2
6:2そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。

Revelation 9:7
9:7これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、

Revelation 12:1
12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。

Revelation 14:14
14:14また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。

Strong's Greek 4735
18 Occurrences

στέφανοι — 1 Occ.
στέφανον — 10 Occ.
στέφανός — 5 Occ.
στεφάνους — 2 Occ.



続きまして、黙示録19章11~16節を口語訳聖書から引用します。

またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。
ヨハネの黙示録19章11~16節


そして今度は19章2節の冠についてBIBLE HUBで調べるとギリシャ語でδιαδήματα
https://biblehub.com/greek/1238.htm
diadémaというのだそうです。

BIBLE HUBで見られるEnglishman's Concordanceによれば
この言葉についてこのように書かれていました。

Revelation 12:3 
12:3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。

Revelation 13:1 
13:1わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。

Revelation 19:12 
19:12その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。

Strong's Greek 1238
3 Occurrences

διαδήματα — 3 Occ.

 
 




調べながらこんな顔になってしまったワタクシ→( ̄▽ ̄;)
どちらの言葉も良い意味にも悪い意味にも使われている気がしたからです。
stephanosという言葉で表現されている冠が、ネットのあちこちで言われているほど悪い意味にも感じられないし
diadémaという言葉で表現されている冠も、龍と獣のせいで言われているほど良い感じもしない(笑)


というわけで、次は弓です。
6章2節の弓はギリシャ語でτόξον
https://biblehub.com/greek/5115.htm
toxonというのだそうです。
BIBLE HUBで見られるEnglishman's Concordanceによれば
この言葉は新約聖書中では「ここだけに使われている」言葉だそうです。

なんてことだ!っていう感じ。

でも思いつきました。

旧約聖書の中で弓という言葉が出て来るところはないのだろうかと。
τόξονという語はなくても、「弓」ならばあるのでは…と思ったわけです。

今度は日本聖書協会の聖書本文検索http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

新共同訳で検索してみました。

すると弓という言葉はたくさんあり
創世記だけでも
創世記21章20節、創世記27章3節、創世記48章22節、創世記49章23節、創世記49章24節
ということで5カ所。
多すぎてすべて引用できませんので、
気になった箇所を引用させていただきます。

ハバクク書3章9節
あなたは弓の覆いを取り払い 言葉の矢で誓いを果たされる。〔セラ
あなたは奔流を起こして地をえぐられる。 (新共同訳)


このハバクク書3章が特に興味深かった点は、「言葉の矢」ということば。
黙示録6章のところの白い馬に乗っている者は矢を持っていないという話がありましたが、矢が言葉なのであればいわゆる矢は持っていなくて当然ということになりますから。
ただし、ここが矢という言葉であると認識したのは新共同訳を読むようになってからで、新改訳を読んでいるときには矢と訳されてはいなかったし、それどころか「ことばの杖の誓い」と訳されていたのでそもそも???という感じでした。言葉の矢という表現が適切なのかそうでないのか語学に疎い素人としては少々気になります。
ただ、BIBLE HUBで調べるとここはמַטּ֖וֹת
https://biblehub.com/hebrew/mattot_4294.htm
で、maṭ·ṭō·wṯというのはエゼキエル書19章11節でも使われていて、そこでは新共同訳聖書は「杖となる強い枝」と言うように訳されています。で、そのほかの箇所で使われているmaṭ·ṭō·wṯの英語訳として「tribes」があてられているところを見ると、生物分類的な発想で行くと要するに枝分かれしたみたいな感じなのかしら、という気がしたので、
ことばの杖(の誓い)も言葉の矢も、ことばが木の枝のような棒になっているということのような気がしますから、弓につがえるものという観点で分類すれば矢と言っちゃって良いのかもしれないですよね。

とりあえず矢について日本語の聖書検索してみました。
「言葉の矢」のような、矢としての形がなくてもOKな矢があるかしら、ということで。
その前に、一応、そもそも神さまは弓矢を使うのか(笑)という観点で「弓」を検索した時にチェックして見ておりましたが
けっこうな頻度で弓矢をお用いになられていることが分かりました。
例えばこんな感じで。

ゼカリヤ書9章14節
主は彼らの前に現れ その矢は稲光のように飛ぶ。主なる神は角笛を響き渡らせ 南からの暴風と共に進まれる。 (新共同訳)


以下引用した日本語の聖句は新共同訳聖書から

さて、それでは矢ではない矢について上のハバクク書以外で書かれている箇所です。
詩編64編4節
彼らは舌を鋭い剣とし 毒を含む言葉を矢としてつがえ
詩編127編4節
若くて生んだ子らは、勇士の手の中の矢。
イザヤ書49章2節
わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して
エレミヤ書9章7節
彼らの舌は人を殺す矢 その口は欺いて語る。隣人に平和を約束していても その心の中では、陥れようとたくらんでいる。
エゼキエル書5章16節
わたしは滅びに定められた者に対して悲惨な飢えの矢を放つ。お前たちを滅ぼすためにそれを放つとき、わたしは飢えをますますひどくし、パンをつるして蓄える棒を折る。


さて、次に「鉄の杖」という言葉を探すことにしました。
これについても日本聖書協会の聖書本文検索を利用し、新共同訳聖書の旧新約全体で鉄の杖という語はどこに出て来るのかということを調べました。
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

ヨハネの黙示録では以下の三カ所で鉄の杖という表現が使われていますが、これも弓と同じで黙示録以外の新約聖書にはない表現です。

ヨハネの黙示録2章27節
彼は鉄の杖をもって彼らを治める、 土の器を打ち砕くように。
ヨハネの黙示録12章5節
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。
ヨハネの黙示録19章15節
この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これには全能者である神の激しい怒りが込められている。 


なので、旧約聖書ではどうなっているのか調べたところ、イエスさまに関する預言として詩編のところにありました。

詩編2編9節
お前は鉄の杖で彼らを打ち 陶工が器を砕くように砕く。」




最後に、「口、剣」というキーワードで日本聖書協会の聖書本文検索をしてみました。
これは、ヨハネの黙示録19章の白い馬に乗っている者の口にはするどい剣が出ていると書かれているからです。

ヨハネの黙示録19章15節
この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これには全能者である神の激しい怒りが込められている。
ヨハネの黙示録19章21節
残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた。



検索した結果はこんな感じになりました。

イザヤ書49章2節
わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して

ヨハネの黙示録1章16節
右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

ヨハネの黙示録2章16節
だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。


イザヤ書49章2節は上の「矢」のところでも引用した箇所です。