新改訳聖書第三版で詩篇を読んでいたところ意味の分からない単語に出くわしました。
「羊のおり」
68篇13節、78篇70節に登場する言葉です。
あなたがたは羊のおりの間に横たわるとき、
銀でおおわれた、鳩の翼。
その羽はきらめく黄金でおおわれている。
全能者が王たちをかしこで散らされたとき、
ツァルモンには雪が降っていた。
詩篇68篇13,14節
主はまた、しもべダビデを選び、
羊のおりから彼を召し、
乳を飲ませる雌羊の番から彼を連れてきて、
御民ヤコブとご自分のものであるイスラエルを
牧するようにされた。
詩篇78篇70,71節
次に新共同訳聖書で同じ辺りを引用します。
主は約束をお与えになり、
大勢の女たちが良い知らせを告げる
「王たちは軍勢と共に逃げ散る、逃げ散る」と。
家にいる美しい女も戦利品を分けている。
あなたたちは二つの鞍袋の間に横たわるのか。
鳩の翼は銀に、羽は黄金に覆われている。
詩編68篇12~14節
僕ダビデを選び、羊のおりから彼を取り
乳を飲ませている羊の後ろから取って
御自分の民ヤコブを
御自分の嗣業イスラエルを養う者とされた。
詩編78編70,71節
そしてNIVからも同じ所を引用
Even while you sleep among the sheep pens,[e] the wings of my dove are sheathed with silver,
its feathers with shining gold.” When the Almighty[f] scattered the kings in the land, it was like snow fallen on Mount Zalmon.
Psalm68:13,14
Psalm 68:13[e]Or the campfires; or the saddlebags
Psalm 68:14[f]Hebrew Shaddai
He chose David his servant and took him from the sheep pens;from tending the sheep he brought him to be the shepherd of his people Jacob, of Israel his inheritance.Psalm 78:70,71
まず、68篇のところ
新共同訳では「羊のおり」と訳さず鞍袋と訳してあります。
これについてはNIVの方に注が付いていまして
Or the campfires; or the saddlebagsということで、「キャンプファイアー」または「鞍袋」
引照付きの新改訳聖書第二版では、「羊のおりの間」の「間」の所に小さく(1)とあって参照すると創世記49:14と士師記5:16節とあります。
なのでそれぞれを開いて見たところ「鞍袋の間に伏す」とか「鞍袋の間に座って」という表現がありました。
次に78編ですが、3つの訳とも全て「羊のおり」です。
ところで、「羊のおり」って何度も何度も読んでいると「ひつじ・のおり」なのかも、とか、「おり」という名前の羊なのか、という妙な気分になってきたのですが、(^_^;)
NIVを見ると the sheep pens となっていますので「羊の檻」だということがわかりました。
なのでそれぞれを開いて見たところ「鞍袋の間に伏す」とか「鞍袋の間に座って」という表現がありました。
次に78編ですが、3つの訳とも全て「羊のおり」です。
ところで、「羊のおり」って何度も何度も読んでいると「ひつじ・のおり」なのかも、とか、「おり」という名前の羊なのか、という妙な気分になってきたのですが、(^_^;)
NIVを見ると the sheep pens となっていますので「羊の檻」だということがわかりました。
68篇の方は創世記と士師記を参照しながら、そして書かれた時代背景を考えながら新共同訳とあわせて読んでみると、戦いに勝った人々の様子ということで、なんとなく雰囲気がつかめるような感じがしました。
また、78篇の方ですが、ダビデが、「おり」、または「囲い」に入っている「本物の羊」を飼っている立場であって、その「おり」の中では雌羊が赤ちゃん羊にお乳を飲ませているという、
そういうところにいたダビデを
神さまが取り(召し)出して、羊ではなく神さまの御民を、羊を牧するかのように養うようにされたという意味でしょうか。
これまで私にとって羊飼いというのは
「大量の羊を広い緑のまきばに放している」
イメージなのでありますが、
「羊のおり」から召されたダビデということになると、
他の羊たちから取り分けられた囲いの中で赤ちゃんにお乳を与えている雌羊のようなデリケートな羊たちを取り扱っていたというわけで羊飼いの印象が違う感じがしました。
そういう部分を強調するための「羊のおり」なのでしょうか?
というか、羊飼い自体についてもほぼわかっていない自分に気付きました。
イエスさまが語られる良い羊飼いというのはもしかしたらこの詩篇のイメージなのかしら。
だからこそ、迷子になった一匹を探しに行くのかな。