詩編18編(新共同訳)を読んでいたら、15節に「稲妻が散乱する」という表現にあることに気付きました。
そういえば、マタイ24章27節の
「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。」というイエスさまの言葉の意味が今一つはっきりわからなかったんだ・・・ということを思い出し、
いい機会なので調べ学習をしてみることにしました。
וישלח חציו ויפיצם וברקים רב ויהמם׃
「稲妻」はbaraq וברקים
「散乱する」はhamam ויהמם
18編と同じוברקיםという形でbaraqが登場するほかの箇所は出エジプト記の19章16節
三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。
同じ形ではないけれどbaraqが登場するほかの箇所をいくつか拾ってみると
あなたの雷鳴は車のとどろきのよう。稲妻は世界を照らし出し
地はおののき、震えた。詩編77編19節(新共同訳)
飛び交う稲妻
うなりを上げる矢を放ってください。詩編144編6節(新共同訳)
殺すためにといであり、いなずまのようにきらめくためにみがいてある。わたしたちは喜ぶことができるか。わが子よ、あなたはつえと、すべて木で作ったものとを軽んじた。
エゼキエル書21章10節(口語訳)
ということで、ברק baraqというヘブライ語はまずは出エジプト記の御言葉から考えると「神さまのご臨在」というイメージのある言葉だろうということが分かり、さらに言えば、詩編144編5節6節7節、そしてエゼキエル書の内容から、神さまがさばきのために「天を傾けて降り」てこられるときに、「稲妻」が~ということなのだと考えられます。
引用箇所だけでなくほかにもそのようなイメージのところにברק baraqが登場していますので、稲妻とはそういうものであるという共通認識が当時のユダヤ人にはあったと考えられます。だとすると、「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。」という言葉は、出エジプト記やダビデの詩編、そして預言書で神さまが天から地上に来られるときと同じような現象の中を来られる、ということでしょうか。
ちなみに、ברקのクフがアレフに代わると創世記1章1節のבראשיתの最初の三文字そしてその次の בראになります。だから何だということはありませんが、そんなことを考えながらヘブライ語聖書を読むのが好きです。
次に、「散乱する」המם hamam
これは、Strong's Concordanceによると Definitionは to make a noise, move noisily, confuse, discomfitと書いてあります。日本語聖書の印象ではこちら言葉の方が稲妻よりもキラキラしていそうなのですが、きらきらという意味は全くなく、うるさくて困惑させられ混乱してしまう、ということなので、雷のピカッにあたるのがברק baraqで、光速と音速の差の関係で光った後にちょっと遅れてゴロゴロとなる雷鳴の方がהמם hamamということでしょうか。
המם hamamが使われているほかの箇所を調べると、
朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。出エジプト記14章24節(新共同訳)
この御言葉の中の「かき乱された」という部分にהמם hamamが。
そしてこちらの「混乱」にも使われていて
あなたの神、主は彼らをあなたに渡して、大混乱に陥れ、ついには滅亡に至らせる。
申命記7章23節(新共同訳)
この辺りを踏まえて考えるとヨハネの黙示録16章18節の
そして、稲妻、さまざまな音、雷が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった。
という御言葉の「さまざまな音」というのがהמם hamamで、「稲妻、さまざまな音、雷が起こり」というのが詩編18編の「稲妻が散乱する」という表現により近いのかもしれません。
ギリシャ語の聖書で調べてみるとマタイ24章のイエスさまの御言葉は
ἡ ἀστραπὴ ἐξέρχεται ἀπὸ ἀνατολῶν καὶ φαίνεται ἕως δυσμῶν
となっていて、ἀστραπὴが稲妻で、φαίνεταιが英訳聖書ではshineというような意味があるようなのですが、同じφαίνεταιはマタイ2章13節、19節にも登場していて「現れる」という意味で使われています。というか、この言葉は「現れる」という意味で使われる方が頻度としては高いようでした。
そして…余計なことかもしれませんが、雷の多い群馬に住む人間として言わせていただくと、稲妻のピカッとひかるアレ⚡は、左右(東西)に走るより上から下に降りるイメージがあります。電気がびびっと空の上から下に流れて、空にひびが入るようなイメージです。なので、もしかしたら、まず東に稲妻のように天から降りてこられ、そして西にも現れる(書きながらなにがなにやら意味が分からなくなっておりますが)聖書では「東」側が結構重要なのでこの箇所にあえて東だの西だのという方角を表す言葉があるのは単なる東西ではないような気もしたのでちょっと書いてみました。
さらに、今・・・今日も雷雨になるのかな、という積乱雲が発達した空を見上げて思ったのですが、
あれですかね、イエスさまが雲に乗ってこられるというあの話も稲妻関連なのでしょうか。
たとえばエレミヤ10章13節と51章16節のようなイメージ。
主が御声を発せられると、天の大水はどよめく。地の果てから雨雲を湧き上がらせ稲妻を放って雨を降らせ風を倉から送り出される。
…積乱雲?(;´Д`A ```
まあ、基本はこちらだとは思うのですが
主はモーセに言われた。「見よ、わたしは濃い雲の中にあってあなたに臨む。わたしがあなたと語るのを民が聞いて、いつまでもあなたを信じるようになるためである。」モーセは民の言葉を主に告げた。出エジプト記19章9節
あとは噴火の煙のイメージも・・・
シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。出エジプト記19章18節
主よ、あなたの天を傾けて降り
山々に触れて煙を吐かせてください。
稲妻を光らせて敵を散らし
矢を放って彼らをかき乱してください。
高みから手を伸ばし
私を解き放って助け出してください
大水から、異国の子らの手から。
詩編144編5~7節
いずれにしても主はすべてを、山(噴火)も雲も雷も雨もつかさどっておられます。
בראすべてを創造された主、素晴らしい!