2025年6月21日土曜日

ある朝の景色

 歩きながら、また「沈黙の春」を思い出していた。


ゼロではない。ゼロではないのだがすずめがいない。


「すずめがいないすずめがいない」と私があまりにも言葉にするからなのか


主は、この間わが家の屋根にすずめを三羽並ばせて見せてくださった。



べつに

「まだ」すずめを焼いて食おうとは思っていないが


カラスの声ばかりときをえらばずひびく町。




今朝は久しぶりに

本当に久しぶりにキジバトらしい声を聴いた。


・・・ただ

・・・一音目が違う


とっくの昔に絶対音感など消えてなくなったとしても相対音感は残っている

キジバトのメロディなどどれだけ聞かされたと思っているのか


「方言だ」とでも言うつもりか?

単に音痴な鳩なのか?


ああ、もう鳴くのはやめてくれ!気持ちが悪い!

ああ、そう鳴くのはやめてくれ!気が狂いそうだ!

ああ、もっともっと

この耳鳴りがあの泣き声をかき消すほど大きくなってしまえばいいのに!








隣の家ののびすぎた松の木。

手箕で何杯すくっても枯葉の処理が終わらない我が家。

あきらめて室外機に刺さった葉だけ完璧に取り除く。

反対側の隣家からはツルニチニチソウとヘデラが襲い掛かってくる。



どうする?

もうそろそろここでの生活も30年

権利の主張をしてみるか?




ふん


出来るのならばとっくの昔にやっている。


できるわけがない

仕方が無いのだ


みんな

みんな

死んでしまったのだから。

家は空になってもそこにあって

町は家で満ちているが

人は







歴史好きな担任の先生に連れられて

クラスメイトたちといっしょに古墳を眺めて回った小学生時代をふと思い出した。

ずいぶんとたくさんの古墳

たくさんの発掘された遺物

過去は充実していた

過去に盛り上がりはまちがいなくあったのだ

しかし20年位前、子供を連れて古い地層を眺めながら思ったものだ

古代の人間だったらとっくに逃げ出していただろうと。

外に置いたバケツを軽くゆすいでつかったら

背泳するコリドラス

元気に優雅に背泳しているのだよコリドラスが




現代人はかしこいのかおろかなのか



しかし

・・・そんなことどうでもいい


誰にとっても大切なことすべての人間が考えるべきは

きょうの食事をどうするか、だ。