今日は「完全」という言葉にこだわって調べたり考えたりしようと思います。
以前にも一度תֹּם トム Strong's Hebrew 8537について学んだことがありますが
今日は箴言2章7節の言葉から展開していこうと思います。
主は正しい人には良い考えを
完全な道を歩む人には盾を備える。
箴言2章7節(聖書協会共同訳)
この箇所における「完全」という言葉は
תֹּם トム Strong's Hebrew 8537
תタヴとםメムソフィート(מメムが単語の最後に来たときのかたちがם)
二文字で表される言葉。
תタヴという文字の持つ「これより後はない」という意味での、
その文字たった一文字でも読み取ることができる「完全さ」のニュアンスに加え、
無限に拡がっているかのように見える大海原の水を想い起こさせるような
מיםマイム=「水」 を表すמメムであり、
生きていくために必要不可欠な「命の水」、つまり、
神さまの御言葉=トーラー を表すמメム
こういう二文字で構成されるתםで表す「完全さ」とは
間違いなく日本語で想像する「完全さ」とは異なるのだろうと思います。
神、その道は完全であり
主の仰せは練り清められている。
主は御もとに逃れる者すべての盾。
詩編18編31節(聖書協会共同訳)
この箇所における「完全」という言葉は
תָּמִים タミム Strong's Hebrew 8549
תמトムという二文字でתםであり、その単語に完全という意味がありますので、
תמトムにיםヤムが付いているという見方をすることもできます。
יםヤムという言葉には「海」という意味があります。なので、
יםヤムが語尾についているとםメムソフィートで終わるתםトムよりも
いっぱいあるような大きいような強調されているような、という感じを私は受けます。
しかも、יםヤムはםメムソフィートの前に
主の右の御手であるיヨッドがあり、
もちろん、文法をしっかり学んでおられる方なら
תםトムは男性名詞、תמיםタミムは形容詞、
תמיםタミムという言葉の由来はתָּמַםタマムでこれは動詞だよ、という話になるのでしょうが
私は、語り手書き手の気分というか、なぜそういう綴りを選んで表現したのか、その綴りから何が読み取れるのかというあたりのことがとても気になります。
なので、よく話題となるאלהיםエロヒムという言葉についても、
最後二文字がיםヤム(この場合はイムと読みますが)なので、
「イムだから複数形」という考えに簡単に到達する気にはなれず、
古代人である著者が本当にそういうつもりで書いていたのかと考え込んでしまうのです。
だいたい「死ぬ」という言葉を二回繰り返すことによって強調し、「絶対死ぬ」「必ず死ぬ」と訳すような古代の言語を、現代人の現代的な発想で大系化できるのか、
また、長く「聖書のみ」という思想の下で暮らしていたゆえではあるのですが、聖書という特別な書物を、そういう一対一対応の「勢い」で読んでもいいのか、という、
不安のような疑問を常に感じるわけです。
もちろん、文法はあるはずです。そうでなければその言語を使っていた人同士意思の疎通が出来ないはずだからです。
ただ・・・יםヤムが海を表現する言葉であるというところを理解してから
אלהיםエロヒムという言葉の文字列を見ると、
単なる「複数形」ではない別のものが見えてくるような気が
私にはするのです。
あ、話がかなりずれました。元に戻します。
תמיםタミムという言葉は形容詞ですから、この単語を追いかけていけば
תמיםタミムがどんなものを形容しているのかということを知る事が出来るはずです。
そうすればתタヴとםメムソフィートで表される「完全」という言葉の表現している気分、この記事の初めに書いたこの問題を解く事が出来るかもしれません。
BIBLE HUBで調べてみると
8549番תמיםタミムという言葉は聖書の中に91回登場すると書いてありました。
幸いなことに、91回のうち、前置詞が付いたり語尾が変わったりせずתמיםタミムという形のままで登場しているというのが45回と最も多いので、その45か所を読んでみれば
תמיםタミムという言葉自体の持つ雰囲気を味わう事が出来るかもしれません。
(この項における日本語の聖書引用は口語訳聖書からさせていただきます。)
創世記6:9
HEB: אִ֥ישׁ צַדִּ֛יק תָּמִ֥ים הָיָ֖ה בְּדֹֽרֹתָ֑יו
ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
KJV: man [and] perfect in his generations,
創世記17:1
HEB: לְפָנַ֖י וֶהְיֵ֥ה תָמִֽים׃
アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
KJV: walk before me, and be thou perfect.
出エジプト記12:5
HEB: שֶׂ֥ה תָמִ֛ים זָכָ֥ר בֶּן־
小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。
KJV: Your lamb shall be without blemish, a male
レビ記1:3
HEB: הַבָּקָ֔ר זָכָ֥ר תָּמִ֖ים יַקְרִיבֶ֑נּוּ אֶל־
もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをささげなければならない。
KJV: a male without blemish: he shall offer
レビ記1:10
HEB: לְעֹלָ֑ה זָכָ֥ר תָּמִ֖ים יַקְרִיבֶֽנּוּ׃
もしその燔祭の供え物が群れの羊または、やぎであるならば、雄の全きものをささげなければならない。
KJV: it a male without blemish.
レビ記3:1
HEB: אִם־ נְקֵבָ֔ה תָּמִ֥ים יַקְרִיבֶ֖נּוּ לִפְנֵ֥י
もし彼の供え物が酬恩祭の犠牲であって、牛をささげるのであれば、雌雄いずれであっても、全きものを主の前にささげなければならない。
KJV: he shall offer it without blemish before
レビ記3:6
HEB: א֣וֹ נְקֵבָ֔ה תָּמִ֖ים יַקְרִיבֶֽנּוּ׃
もし彼の供え物が主にささげる酬恩祭の犠牲で、それが羊であるならば、雌雄いずれであっても、全きものをささげなければならない。
KJV: he shall offer it without blemish.
レビ記4:3
HEB: בֶּן־ בָּקָ֥ר תָּמִ֛ים לַיהוָ֖ה לְחַטָּֽאת׃
すなわち、油注がれた祭司が罪を犯して、とがを民に及ぼすならば、彼はその犯した罪のために雄の全き子牛を罪祭として主にささげなければならない。
KJV: bullock without blemish unto the LORD
レビ記4:23
HEB: עִזִּ֖ים זָכָ֥ר תָּמִֽים׃
もしその犯した罪を知るようになったときは、供え物として雄やぎの全きものを連れてきて、
KJV: of the goats, a male without blemish:
レビ記5:15
HEB: לַֽיהוָ֜ה אַ֧יִל תָּמִ֣ים מִן־ הַצֹּ֗אן
「もし人が不正をなし、あやまって主の聖なる物について罪を犯したときは、その償いとして、あなたの値積りにしたがい、聖所のシケルで、銀数シケルに当る雄羊の全きものを、群れのうちから取り、それを主に携えてきて、愆祭としなければならない。
KJV: a ram without blemish out of the flocks,
レビ記5:18
HEB: וְ֠הֵבִיא אַ֣יִל תָּמִ֧ים מִן־ הַצֹּ֛אן
彼はあなたの値積りにしたがって、雄羊の全きものを群れのうちから取り、愆祭としてこれを祭司のもとに携えてこなければならない。こうして、祭司が彼のために、すなわち彼が知らないで、しかもあやまって犯した過失のために、あがないをするならば、彼はゆるされるであろう。
KJV: a ram without blemish out of the flock,
レビ記6:6
HEB: לַיהוָ֑ה אַ֣יִל תָּמִ֧ים מִן־ הַצֹּ֛אן
彼はその償いとして、あなたの値積りにしたがい、雄羊の全きものを、群れの中から取り、これを祭司のもとに携えてきて、愆祭として主にささげなければならない。
KJV: a ram without blemish out of the flock,
レビ記22:19
HEB: לִֽרְצֹנְכֶ֑ם תָּמִ֣ים זָכָ֔ר בַּבָּקָ֕ר
あなたがたの受け入れられるように牛、羊、あるいはやぎの雄の全きものをささげなければならない。
KJV: a male without blemish, of the beeves,
レビ記22:21
HEB: א֣וֹ בַצֹּ֑אן תָּמִ֤ים יִֽהְיֶה֙ לְרָצ֔וֹן
もし人が特別の誓願をなすため、または自発の供え物のために、牛または羊を酬恩祭の犠牲として、主にささげようとするならば、その受け入れられるために、それは全きものでなければならない。それには、どんなきずもあってはならない。
KJV: or sheep, it shall be perfect to be accepted;
レビ記23:12
HEB: הָעֹ֑מֶר כֶּ֣בֶשׂ תָּמִ֧ים בֶּן־ שְׁנָת֛וֹ
またその束を揺り動かす日に、一歳の雄の小羊の全きものを燔祭として主にささげなければならない。
KJV: an he lamb without blemish of the first
民数記6:14(2回 雌のささげものは語尾にהがある物ということで分け、ここではカウントしないので2回という数になります。ちなみに語尾にהがつくものは8回ありました)
HEB: בֶּן־ שְׁנָת֨וֹ תָמִ֤ים אֶחָד֙ לְעֹלָ֔ה
בַּת־ שְׁנָתָ֛הּ תְּמִימָ֖ה לְחַטָּ֑את וְאַֽיִל־
וְאַֽיִל־ אֶחָ֥ד תָּמִ֖ים לִשְׁלָמִֽים׃
そしてその人は供え物を主にささげなければならない。すなわち、一歳の雄の小羊の全きもの一頭を燔祭とし、一歳の雌の小羊の全きもの一頭を罪祭とし、雄羊の全きもの一頭を酬恩祭とし、
KJV: year without blemish for a burnt offering,
ram without blemish for peace offerings,
申命記18:13
HEB: תָּמִ֣ים תִּֽהְיֶ֔ה עִ֖ם
あなたの神、主の前にあなたは全き者でなければならない。
KJV: Thou shalt be perfect with the LORD
申命記32:4
HEB: הַצּוּר֙ תָּמִ֣ים פָּעֳל֔וֹ כִּ֥י
主は岩であって、そのみわざは全く、その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、義であって、正である。
KJV: his work [is] perfect: for all his ways
ヨシュア記10:13 「おおよそ」一日?「おおよそ」と「完全」はイコールですか?
HEB: לָב֖וֹא כְּי֥וֹם תָּמִֽים׃
民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。
KJV: not to go down about a whole day.
1サムエル記14:41 トンミムとはタミムのことなのですね!?
ちなみに、ウリムはאוּרִיםで、יםの前にある三文字は「光」という単語の文字列と一緒ですね。
HEB: יִשְׂרָאֵ֖ל הָ֣בָה תָמִ֑ים וַיִּלָּכֵ֧ד יוֹנָתָ֛ן
そこでサウルは言った、「イスラエルの神、主よ、あなたはきょう、なにゆえしもべに答えられなかったのですか。もしこの罪がわたしにあるか、またはわたしの子ヨナタンにあるのでしたら、イスラエルの神、主よ、ウリムをお与えください。しかし、もしこの罪が、あなたの民イスラエルにあるのでしたらトンミムをお与えください」。こうしてヨナタンとサウルとが、くじに当り、民はのがれた。
KJV: Give a perfect [lot]. And Saul
同じ個所を聖書協会共同訳で調べてみるとこう書いてありました。
サウルはイスラエルの神、主に向かって言った。「くじによってお示しください。」すると、くじはヨナタンとサウルに当たり、兵は免れた。
2サムエル記22:24
HEB: וָאֶהְיֶ֥ה תָמִ֖ים ל֑וֹ וָאֶשְׁתַּמְּרָ֖ה
わたしは主の前に欠けた所なく、自らを守って罪を犯さなかった。
KJV: I was also upright before him, and have kept
2サムエル記22:26
HEB: עִם־ גִּבּ֥וֹר תָּמִ֖ים תִּתַּמָּֽם׃
忠実な者には、あなたは忠実な者となり、欠けた所のない人には、あなたは欠けた所のない者となり、
KJV: thou wilt shew thyself merciful, [and] with the upright man
2サムエル記22:31
HEB: הָאֵ֖ל תָּמִ֣ים דַּרְכּ֑וֹ אִמְרַ֤ת
この神こそ、その道は非のうちどころなく、主の約束は真実である。彼はすべて彼に寄り頼む者の盾である。
KJV: his way [is] perfect; the word
2サムエル記22:33 日本語の「安全」とは完全と同義なんだろうか?
HEB: חָ֑יִל וַיַּתֵּ֥ר תָּמִ֖ים [דַּרְכֹּו כ]
この神こそわたしの堅固な避け所であり、わたしの道を安全にされた。
KJV: and he maketh my way perfect.
ヨブ記12:4
HEB: שְׂ֝ח֗וֹק צַדִּ֥יק תָּמִֽים׃
わたしは神に呼ばわって、聞かれた者であるのに、その友の物笑いとなっている。正しく全き人は物笑いとなる。
KJV: him: the just upright [man is] laughed to scorn.
詩篇15:2
HEB: הוֹלֵ֣ךְ תָּ֭מִים וּפֹעֵ֥ל צֶ֑דֶק
直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、
KJV: He that walketh uprightly, and worketh
詩篇18:23
HEB: וָאֱהִ֣י תָמִ֣ים עִמּ֑וֹ וָ֝אֶשְׁתַּמֵּ֗ר
わたしは主の前に欠けたところがなく、自分を守って罪を犯しませんでした。
KJV: I was also upright before him, and I kept
詩篇18:25
HEB: עִם־ גְּבַ֥ר תָּ֝מִ֗ים תִּתַּמָּֽם׃
あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、
KJV: thou wilt shew thyself merciful; with an upright man
詩篇18:30
HEB: הָאֵל֮ תָּמִ֪ים דַּ֫רְכּ֥וֹ אִמְרַֽת־
この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は真実です。主はすべて寄り頼む者の盾です。
KJV: his way [is] perfect: the word
詩篇18:32 日本語の「安全」とは完全と同義なんだろうか?
HEB: חָ֑יִל וַיִּתֵּ֖ן תָּמִ֣ים דַּרְכִּֽי׃
神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。
KJV: and maketh my way perfect.
詩篇101:2
HEB: אַשְׂכִּ֤ילָה ׀ בְּדֶ֬רֶךְ תָּמִ֗ים מָ֭תַי תָּב֣וֹא
わたしは全き道に心をとめます。あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。
KJV: I will behave myself wisely in a perfect way.
詩篇101:6
HEB: הֹ֭לֵךְ בְּדֶ֣רֶךְ תָּמִ֑ים ה֝֗וּא יְשָׁרְתֵֽנִי׃
わたしは国のうちの忠信な者に好意を寄せ、わたしと共に住まわせます。全き道を歩む者はわたしに仕えるでしょう。
KJV: with me: he that walketh in a perfect way,
詩篇119:80 口語訳では日本語の該当箇所がわかりませんでした。「全く」というところなのかもしれませんが「全く」という言葉のかかっているところがなんかおかしいような・・・
HEB: יְהִֽי־ לִבִּ֣י תָמִ֣ים בְּחֻקֶּ֑יךָ לְ֝מַ֗עַן
わたしはあなたの定めを守ります。わたしを全くお捨てにならないでください。
KJV: Let my heart be sound in thy statutes;
KJVの直訳は「私の心をあなたの法令に従って健全にしてください」だとグーグル翻訳は言っています(笑)
聖書協会共同訳では
あなたの掟に照らして/私の心に落ち度がありませんように/私が恥を受けないために。となっています
新共同訳では
わたしの心があなたの掟に照らして/無垢でありますように。そうすればわたしは恥じることがないでしょう。
箴言11:5
HEB: צִדְקַ֣ת תָּ֭מִים תְּיַשֵּׁ֣ר דַּרְכּ֑וֹ
誠実な者は、その正義によって、その道をまっすぐにせられ、悪しき者は、その悪によって倒れる。
KJV: The righteousness of the perfect shall direct
箴言28:18 「正しく」と「完全」はイコール?
HEB: הוֹלֵ֣ךְ תָּ֭מִים יִוָּשֵׁ֑עַ וְנֶעְקַ֥שׁ
正しく歩む者は救を得、曲った道に歩む者は穴に陥る。
KJV: Whoso walketh uprightly shall be saved:
聖書協会共同訳ではこうなっています
完全な道を歩む人は救われ/曲げられた道を歩む者は直ちに倒れる。
エゼキエル書15:5
HEB: הִנֵּה֙ בִּֽהְיוֹת֣וֹ תָמִ֔ים לֹ֥א יֵֽעָשֶׂ֖ה
見よ、これは完全な時でも、なんの用をもなさない。まして火がこれを焼き、これをこがした時には、なんの役に立つだろうか。
KJV: Behold, when it was whole, it was meet
エゼキエル書28:15
HEB: תָּמִ֤ים אַתָּה֙ בִּדְרָכֶ֔יךָ
あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった。
KJV: Thou [wast] perfect in thy ways
エゼキエル書43:22
HEB: שְׂעִיר־ עִזִּ֥ים תָּמִ֖ים לְחַטָּ֑את וְחִטְּאוּ֙
第二日に、あなたは無傷の雄やぎを、罪祭としてささげよ。すなわち雄牛で清めたように、これで祭壇を清めよ。
KJV: of the goats without blemish for a sin offering;
エゼキエル書43:23 (2回)
HEB: בֶּן־ בָּקָ֣ר תָּמִ֔ים וְאַ֥יִל מִן־
מִן־ הַצֹּ֖אן תָּמִֽים׃
清めごとを終えたなら、無傷の雄牛の子と、群れの中の無傷の雄羊とをささげよ。
KJV: bullock without blemish, and a ram out of the flock without blemish
エゼキエル書45:18
HEB: בֶּן־ בָּקָ֖ר תָּמִ֑ים וְחִטֵּאתָ֖ אֶת־
主なる神は、こう言われる、正月の元日に、あなたは無傷の雄牛の子を取って聖所を清めよ。
KJV: bullock without blemish, and cleanse
エゼキエル書46:4
HEB: תְּמִימִ֖ם וְאַ֥יִל תָּמִֽים׃
・・・一頭の無傷の雄羊とである。
KJV: and a ram without blemish.
エゼキエル書46:13
HEB: בֶּן־ שְׁנָת֜וֹ תָּמִ֗ים תַּעֲשֶׂ֥ה עוֹלָ֛ה
彼は日ごとに一歳の無傷の小羊を燔祭として、主にささげなければならない。すなわち朝ごとに、これをささげなければならない。
KJV: year without blemish: thou shalt prepare
アモス書5:10 完全とは真実?
HEB: מוֹכִ֑יחַ וְדֹבֵ֥ר תָּמִ֖ים יְתָעֵֽבוּ׃
彼らは門にいて戒める者を憎み、真実を語る者を忌みきらう。
KJV: him that speaketh uprightly.
トーラーにおけるתמיםタミムについて
1.創世記ではまず6章9節「ノア」について、彼自身が「完全」な人であるということを言い表すためにתמיםタミムという言葉を使っていました。
ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
2.そして創世記17章1節「アブラム」に対する主の御言葉として「全き者であれ」というものがありました。
つまり神さまはアブラムにתמיםタミムであれと命じたわけです。
アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
3.出エジプト記、レビ記、民数記においては、ささげものに関して「無傷」「全き」という訳になっているところがתמיםタミムでした。
小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。
出エジプト記12:5もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをささげなければならない。
レビ記1:3そしてその人は供え物を主にささげなければならない。すなわち、一歳の雄の小羊の全きもの一頭を燔祭とし、一歳の雌の小羊の全きもの一頭を罪祭とし、雄羊の全きもの一頭を酬恩祭とし、
民数記6:14
4.申命記においてはまず18章13節で、レビ人に対して「全き者」であることを命じているところに
תמיםタミムが使われていました。
あなたの神、主の前にあなたは全き者でなければならない。
申命記18:13
5.そして申命記32章4節では、
神さまの御業の「完全」を表現するために使われていました。
口語訳聖書はわかりにくいので、ここでは聖書協会共同訳から引用します。
主は岩であり、主の業は完全で
その道はことごとく正しい。
主は真実の神で、偽りがなく
正しく、まっすぐな方。
「無傷」なささげものと同質のノア
ささげものの「無傷」「全きもの」というところに使われているתמיםタミムが
ノアを形容する言葉として使われていることに気付き驚きました。
そして、アブラムに対する「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」
つまり、תמיםタミムであれという言葉についても驚かされました。
アブラムはそのとき99歳です。99歳の老人にbe thou perfect(KJV)と
神さまはおっしゃるのです。
NASBでは be blameless 罪なき者になれ と訳されていますが、これは大変!
ところで、
聖書の中にはほかにも「完全」な人と表現されている人がいました。
それはヨブです。
ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけていた。
ヨブ記1章1節(聖書協会共同訳)
ヨブを形容する「完全」という言葉は、
תמיםタミムではなく 8537番のתםトムでもなく、
使われている文字はトムと同じですが、母音が異なります。
תםトムまたはタムとתמיםタミムは単純に品詞の違いととらえられなくはないのですが、
ささげものについての規定で使われているのはתמיםタミムだけである、という事を考えると、
תםトムまたはタムとתמיםタミムというיםの有る無しという違いには、
書き手語り手の中にある何らかの「気分の違い」があるような気がします。
תםトムの発音がタムになったりタマになったりという変化については
それぞれの単語の持つ意味がほぼ一緒(トーラーに従って生き、誠実な人という意味)であることや
タマがエズラ記にだけ登場していること、雅歌にはタムが含まれているがトムがないことなどから、時代による言葉の移り変わりによるものでしょうか。(素人の感想です)
ヨブ以外のתםタムな人
コンコルダンスを見るとתםタムと表現されている人がもう一人いることに気付きました。
ヤコブです。
やがて子どもたちは成長し、エサウは狩りが巧みな野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。
創世記25章27節(聖書協会共同訳)
穏やかな人というところがתםタムです。
トータルでわずか14回しか聖書に登場しないתםタムは定義として
Blameless, perfect, complete, upright
エサウと対照的な性格だということを強調するために「穏やか」という言葉が充てられたのでしょうか。
תמיםタミムを「正しく」と訳していました。
確かに「完全」であれば正しいはずなので、正しいことは「完全」という言葉に含まれる要素の一つととらえることはできます。が、「正しいならば必ず完全である」ということは、原罪という前提が崩されない限り言えないと思います。
תמיםタミムはタミムとして、תםタムはタムとして、
(聖霊さまの働きを信じる信仰があるのなら)それで良い、というか、大丈夫なのではないでしょうか。
תםタムという言葉は、ヨブやヤコブの描写だけではなく雅歌にも使われています。
5章2節תָּמִתִ֔י
6章9節תַמָּתִ֔י
この二か所にあります。
私は眠っていましたが
心は覚めていました。
ほら、聞いてごらん。愛する人が戸を叩いている。
「私の妹、恋人よ、開けてください。
私の鳩、汚れなき人よ。
私の頭は露で
髪は夜露の滴で濡れてしまった。」
雅歌5章2節(聖書協会共同訳)
私の鳩、私の汚れなき人はただ一人。
彼女は母の一人娘。
彼女を産んだ母にとって輝いている娘。
娘たちは彼女を見て、幸せな人だと言い
王妃も側女も彼女をほめたたえる。
雅歌6章9節(聖書協会共同訳)
まとめ
תמיםタミムであるのは
神さまの御業(申命記32章4節)
神さまの道(詩編18編31節)
ノア
いけにえとして認められた動物
そして、 תְּ֭מִימָה という形だったので上では引用していませんが
詩編19編8節によれば
主の律法は完全で、魂を生き返らせ
主の定めはまことで、無知な者を賢くする。
とあり、主の律法は完全というところは
תורת יהוה תמימה
右側からトーラー、神聖四文字、そしてתמימהタミマハ となっています。
レビ人
そして、תםタムである人は
ヨブ
ヤコブ
雅歌に登場する花嫁
תמיםタミムの方は神さまの御業や神さまの道、そしてトーラー自体を形容しているので、最も高い意味での「完全」を表しているのではないかと思います。
תמיםタミムとは最上級の「完全」ではあるが、99歳の人間にも到達することが可能な「完全」であるのだと思います。
תמיםタミムはטובトウブ
טוֹבトウブという言葉があり、これは創世記で
神さまがお造りになられたものにおっしゃる言葉כִּי־ ט֑וֹב の二語目の単語です。
英語ではこんなふうに訳されています。
Good, pleasant, beautiful, best,
罪が入る以前の「良い」です。
תמיםタミムという言葉を書いたり語ったりするときの「気分」は、
創造の初め、罪なき時のטובであるという「完全」なのではないでしょうか。
ただ、そこには原罪という大きな問題があって、
תמיםタミム「無傷」な ささげものというその規定を人はどう守るのかと言えば、
人間が「外から見た」無傷、人の能力で判別できる無傷で、
どんなに頑張ったとしても神さまの目には無傷とは見えないかもしれない、無傷であり、
すなわちתמיםタミムには満たないתםトムまたはタムであり
もちろん、それであっても神さまは、
つまりתםトムまたはタムであっても人間の行いを喜び、評価してくださるお方でありましたが、
תםトムではどうしても越えられない、どうにもできない壁はあり、
最後の最後に主ご自身がתמיםタミムであるいけにえを与えてくださり
תָּמַםタマム(Strong's Hebrew 8552)完了した。