あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
コリントの信徒への手紙一3章16節
一コリントの通読をしております。3章を読んでいる中で「神殿」という言葉が気になったので今日は神殿についてBIBLE HUB http://biblehub.com/を使わせていただいての調べ学習をしようと思います。
まずは英語から
NIVでは
Don't you know that you yourselves are God's temple and that God's Spirit dwells in your midst?
エルサレム神殿
ソロモンの神殿(第1神殿)
ゼルバベルの神殿(第2神殿)
ヘロデの神殿(第3神殿とも呼ばれ得る)
新約聖書で気になった神殿という言葉
福音書
使徒言行録
パウロの書簡
ヨハネの黙示録
旧約聖書(預言書)で気になった神殿という言葉
それゆえ、お前たちのゆえに シオンは耕されて畑となり エルサレムは石塚に変わり 神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる。 ヨエル3:12
神殿について考えさせられる箇所
コリント信徒への手紙第一の3章16節17節
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
私は30年近く新改訳聖書だけを読んでいたので、新共同訳で「神殿」と訳されている箇所はおもに「神の宮」と訳されていまして、その言葉からイメージしていたのは家の近所の小さい神社。
しかし、上で調べて分かったのは、「神殿」というギリシャ語は王様の「宮殿」を表現する時にも使われる言葉ということで、ほんとうに驚きました。
パウロはコリント教会の信徒に対して何度も繰り返して「あなたがたは神の神殿」だと言っています。
さらっと読み流しているだけだと、「何度も繰り返して言っている」ということに気づきにくいのですが、書き出してみると、とてもしつこく念を押されている気分になります。
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。コリント第一3:16
神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。 コリント第一3:17
知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 コリント第一6:19
神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。「『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 コリント第二6:16
あなたがたは神殿、あなたがたの体は神殿、わたしたちは生ける神の神殿だ、繰り返し語るパウロの言葉に、
まずは前述の小さい神社から神殿へと言葉のイメージを改めた自分が真っ先に感じたことは、
「私ってものすごい価値がある感じ~~」ということです。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い」という御言葉がイザヤ書にあるので、セルフイメージの徹底的に低い私ではあっても「信仰によって」これまでもとりあえずは「高価だって神さまが言ってくださってるんだからとりあえず尊いと思う」と考えてはいたのですが、小さい神社から神殿に代わったことで、査定価格が一気に上昇しちゃった気がしました。( *´艸`)
そして、
パウロは一コリント3:16において、「神の霊が自分たちの内に住んでいる」と語って信者個人の内に聖霊さまが住んでくださっていると確認したうえで
二コリント6:16では「神がこう言われているとおりです。「『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」と語り、
トーラーから引用することにより
これは代々にわたって、臨在の幕屋の入り口で主の御前にささぐべき日ごとの焼き尽くす献げ物である。わたしはその場所で、あなたたちと会い、あなたに語りかける。わたしはその所でイスラエルの人々に会う。そこは、わたしの栄光によって聖別される。わたしは臨在の幕屋と祭壇を聖別し、またアロンとその子らをわたしに仕える祭司として聖別する。また、わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる。彼らは、わたしが彼らの神、主であることを、すなわち彼らのただ中に宿るために、わたしが彼らをエジプトの国から導き出したものであることを知る。わたしは彼らの神、主である。 出エジプト記29章42~46節
わたしはあなたたちのただ中にわたしの住まいを置き、あなたたちを退けることはない。わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。レビ記26章11、12節
「わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる。」、「わたしはあなたたちのただ中にわたしの住まいを置き」という、
個人ではない複数の人々の「ただ中」「間」におられる神さまでもあられる、ということを教えます。
つまり、「私」の神さまであると同時に「私たち」の神さまであるのだ、と。
で、エレミヤ書31:1にもこう書かれていて、
そのときには、と主は言われる。わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる
神さまはイスラエルのすべての部族の神さまです。
イエスさまもこんなことをおっしゃっていましたね。
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。
ヨハネによる福音書の14章で主を愛し主の御言葉を守るもの(個人)に聖霊さまを与えてくださると約束してくださった主は、約束通り私たち一人一人の内に聖霊さまを与えてくださり、また同時に信じる者たちの集まりのただ中にいてくださる。
だからこそこうなるわけです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
コリントの信徒への手紙一12章27節
心臓や腎臓、肝臓といった体の器官がそれぞれに完成された優れた機能を持つものであるが
孤立して存在するのではなく、つながることによって大きな一つの体として完成される。
それと同じように、私たちは神さまが中に住んでいてくださる神殿で、一人一人それぞれに完成され優れた素晴らしいものであるが、同じ主を内に持つということによって一つであり、また、バラバラにあったものが主のゆえに「つながる」とき、まさにそのただ中に主は宿り、その者たちの間を主は巡り歩かれる。主を信じる者全ての者たちの神さまであるのだ、とパウロは教えてくれるのです。
そう、イエスさまも言っておられました。ヨハネによる福音書15章で主はぶどうの木でわたしたちは枝だと。また、同じくヨハネによる福音書の17章で主は祈ってくださいました、「父よ、あなたが私の内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。」と。
そうです、私たちは別々のようであって一つです。離れているようであって分かれているようであって、しかし私たちの中にあなたがいてくださることによって決してバラバラなものではないのです。
勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。
ヨハネの黙示録3章12節a
とヨハネが語ったように私たちはこの地上の幕屋を脱ぎ捨てた後、皆で真の主の神殿を構成するものとなるのです。
ところで、
ソロモンの神殿(第1神殿)
幕屋の規定に基づいている
神殿は建物そのものが大切なのではなく、その中に納められている神の言葉としての律法(トーラー)が重要 トーラー中心主義
神殿建築の完成は、出エジプトをイスラエルに経験させられた神ご自身の御名のため(列王上8:15~21)
創造主である神は、人が地上に建てた神殿などには住まわれないほどの偉大な方(列王上8:23~27)
原則的には民は神殿に来て祈りをささげなければならない。
で、列王記上の8章から9章のところをささっと読んでみたのですが
9章1~9節にこう書かれています。
ソロモンが主の神殿と王宮の建築を終え、造ろうと望んでいたものすべてについての念願を果たしたとき、主はかつてギブオンで現れたように、再びソロモンに現れ、こう仰せになった。
「わたしはあなたがわたしに憐れみを乞い、祈り求めるのを聞いた。わたしはあなたが建てたこの神殿を聖別し、そこにわたしの名をとこしえに置く。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。もしあなたが、父ダビデが歩んだように、無垢な心で正しくわたしの前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と法を守るなら、あなたの父ダビデに、『イスラエルの王座につく者が断たれることはない』と約束したとおり、わたしはイスラエルを支配するあなたの王座をとこしえに存続させる。もしあなたたちとその子孫がわたしに背を向けて離れ去り、わたしが授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、わたしは与えた土地からイスラエルを断ち、わたしの名のために聖別した神殿もわたしの前から捨て去る。こうしてイスラエルは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる。この神殿は廃虚となり、そのそばを通る人は皆、驚いて口笛を鳴らし、『この地とこの神殿に、主はなぜこのような仕打ちをされたのか』と問うであろう。そのとき人々は、『それは彼らが自分たちの先祖をエジプトの地から導き出した神、主を捨て、他の神々に付き従い、これにひれ伏し、仕えたからだ。それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ』と答えるであろう。」
ソロモンの祈りを聞いていてくださった神さまは、ソロモンに対してきちんとしたお答えをくださったのですね。上の、辞書で調べた文章にも書いてありますが、創造主である神は、人が地上に建てた神殿などには住まわれないほどの偉大なお方ですよね、でもソロモンの願いを主は聞いてくださった。で、今日(こんにち)第一神殿として知られるソロモンの神殿が神殿として認められた。
しかし、神殿は…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%A5%9E%E6%AE%BF
そしてバビロン捕囚から帰還後にできたゼルバベルの神殿(第2神殿)
…西暦70年のエルサレム包囲戦においてエルサレムと第2神殿は破壊
さらに新約聖書でたびたび言及のあるヘロデの神殿(第3神殿とも呼ばれ得る)
…今は「嘆きの壁」(ヘロデの神殿の西側の壁らしい)壁の前が礼拝の場所になっている
神さまにはわかってらしたんでしょうね…あの時から。
ところで、最近、
いや、以前からよく聞く話ですが、
新しい神殿が建つの建たないのという話があって、
まあね、
建てたい人は建てたいんだと思いますけれども
どうせそういう人は、神さまのご意向!?なんて関係ないんでしょうし
だって、すでにメシアは来たんだし
メシアを受け入れた人に神殿はいらないですからね。
だって、パウロが何回も言っている通り自分自身が神殿ですから。
コリントの信徒への手紙だけでなくエフェソの信徒への手紙でもパウロはこんなことを言っています。
キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 エフェソ2:21
イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。ヨハネ4:21
神殿(建築物)…ね。
建つか建たないか、
建った方がいいのか建たない方がいいのか
よくわかりませんけれど
神殿(人間)…がね
すでに建っていると言えば建っているわけで、
まあ建っちゃってるという話になると解釈がいろいろ変わるんだと思いますけれども
学問を修めた訳知り顔の人が何を言ったとしても
所詮「人」ですからね。気を付けなければ。
知りたければ直接神さまに求めていけば
時が満ちたら絶対教えていただけるはずなので
こういうことは人に期待せず直接神さまに尋ねようと思っています。