この時季になると毎年思い出すことがあります。
20年くらい前のことです。
知人が、ある著名な牧師に心酔していました。
そして、ある日、知人が所属していた教会でその先生を招くことが決まり、伝道集会の「ようなもの」をするので「来ない?」と誘われたのです。
実は、そのころ、私はよくその知人とその友人から祈られていました。
祈られていたと言えばクリスチャンとしてごく普通の話のように聞こえますが、その祈りは、自分の通っている教会では体験したことのない、ちょっと不思議なものでした。
彼女はその祈りをくだんの牧師界隈から教わったらしいのですが、
なんだか悪魔ばらいみたいなもので、
当時花粉症デビューしたてでうんざりしていた私を癒す特別な祈り…だと言っていました。
彼女の話によれば、
病はサタンによってもたらされるはずで、なんらかのひどい症状に悩まされるのはサタンがクリスチャンである私のことを憎んでいるからあり、神さまから引き離そうと思って攻撃してくるのだ、というのですね。
だから、私に働いているサタンの力?を縛れば?私は病から解放されるというのです。
神さまは私が健康であることを望んでいらっしゃる。だから、神の力で追い出そう…と。
イエスさまの弟子だって悪霊を追い出していたのだからクリスチャンに追い出せないはずはないでしょう?と。
神学校を卒業して教師をしている彼女が真面目な顔で言うのですから、受洗して数年の私は従うしかなく、
言われるがまま、なされるがままになっていました。
結局彼女とその友人がいくら祈っても私の身体には何の変化も起こらず、
まあ、ご利益宗教じゃないんだし、どう考えても、やればやったほど効果が上がるとかいうものであるはずはないから、と思い始めた矢先のお誘いでちょっと迷いましたが、
めったに会うことのできない「スゴイ先生」らしいので、「説教」目当てで出かけることにしたのです。
その日、私は知人の後にくっついて、教会の中に入っていきました。
さすがに有名な先生。かなり早く出かけたはずでしたが教会の中には既にたくさんの人が集まっていました。
集会が始まり、賛美歌を歌ったり聖書のお話が語られたり、私もよく知る伝道集会らしい普通なプログラムでしたが、ただ妙に進行が早い。
(お忙しい先生だから早く帰られるのかな?)
そんなことを考えていたところ、
会堂に集っていた人々がひとりひとり順番に伝道者の方の前に立ち祈ってもらうということになりました。
(個人的に交わろうとしてくれているのかな、こんなにたくさんいるのにすごいな)
と思った次の瞬間、
見たことのない光景が目の前で繰り広げられることになったのです。
伝道者の方が手を置き一言祈ると、次々に人々がバタバタ倒れていく!
怖くなって逃げ出したかったのですが、もうどうすることも出来ず、
しかし、せめて順番が遅くなるようにと後ずさりをして列の最後尾につきました。
(神さま、これって、どうなってますか?神さま私はどうなっちゃいますか?神さま、これはやばいことになったかもしれません。神さま、彼女はこれがキリスト教のあるべき姿だってささやいてますがそうなのですか?うわ~神さま、順番が来ちゃうよーどうしよう、助けてください!!)
祈ってもらうはずなのに、恐いよ神さま助けてーと心で叫び続けるよくわからない状況の中、
ついに私の番が!
牧師は私の前に立ち、私の頭に手を置いて何か言っています。
(イエスさま~!!!私も倒れるの??…ん?倒れないぞ)
さらに祈る牧師。
(どうしよう神さま、私倒れない。)
祈祷が続く…
(…え、倒れないぞわたし。もしかしてこれってまずいのか?)
さらに祈る牧師。
(まずい、このままだと帰れなくなるかもよ)
祈り、祈り、祈り…
(どうしよう、私が倒れないとこの集まりは終わらないんだよきっと。)
薄目を開けると、私の前に祈られた全ての人が倒れたままになっている。本当に霊的な働きであったとしても催眠術みたいなものだったとしても、私がここで倒れる決断をしなければこの人たちになにか悪いことが起こるかもしれない。
決心した。
…ガタガタガタッ
崩れてみた。
演技した。
大ウソついた。
そして…伝道集会が終わった。
「あー気分が良かった」
「すっきりしたねー」
起き上がった人々が口々に言っていました。
そして、なんと、知人(求道者)が、その身に起こった不思議な体験によって信仰告白し受洗する決心をしたのでした。
(うそだろー!?)
「あなたの中には何かがあった。他の人にはない何かを感じた。大変だった。」
伝道集会が終わった後、その牧師はわざわざ私のところに来てそう言いました。
帰り道、その夜見た光景と
信仰告白者がかなりの人数いたという事態を
どう受け止めたらよいのかわからなくなり
祈りました。
「神さま、私は今夜のことをどう受け止めたらよいでしょうか。キリスト教の教師の資格を持つ彼女はあれがキリスト教のあるべき姿だと言っていました。そしてその経験によってたくさんの方が信仰を持たれました。
しかし神さま、私にはほかの人のように何かが起こることはありませんでした。私の中に何かがあったと先生から言われました。何があるのですか?何があるというのですか?不信仰な思いですか?
私が花粉症であることを気の毒に思った彼女が一生懸命私から悪魔を去らせようとしていましたが私は治りませんでした。なぜ治らないのでしょう。彼らの言うことが正しいのだとしたら、私はきっと悪霊にとりつかれたままなのです。え?でも私は今いったいどなたに話しているのでしょう。悪霊に取りつかれたままでも祈ることができるのでしょうか???え?出来るんだっけ?あれ?悪霊がイエスさまとしゃべってたっけ?あれれ???」
混乱しながら祈っていると、心の中に一つの言葉が思い浮かびました。
「学んで確信したところにとどまっていなさい」
帰宅後、それが新約聖書の言葉であることに気付きました。
しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。
テモテへの第二の手紙3章14節(口語訳)
そうだ。学んで確信したところにとどまるべきなんだ。
じゃあ、私はいったいどう学んでどう確信していたのか。
(…そうだ。一番大切なことを忘れていた。私の中には聖霊さまが住んでおられるんだ!変なものがとりついているはずがないんだ。
悪霊と聖霊が同居しているのはおかしい。そうか、もし何かを追い出す祈りをしていたのだったら、私は倒れるわけないんだ。追い出すものがないんだから!)
あれから20年。花粉症がひどくなる季節が来るとあの夜のことを思い出します。
大嘘をついてしまったこと、…本当に申し訳なく思っています。
私が倒れさえしなければ
良くも悪くも集会の流れは変わっていたかもしれない。
一生懸命祈ってくださった牧師さんと知人にも…ゴメンナサイ。
あの時、私の身には何も起こらなかったのに起こったふりをしました。
私が倒れさえしなければ、
たくさんの人の人生が変わっていたかもしれない。
でも、本当にどうしようもなかった。本当に怖かった。
あれが原因ではありませんが、知人にはもうずいぶん長い間会っておりません。
その後あの件について考えていたとき、こんなみ言葉を読み
…そうだよね、と思ったのでした。
七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。
ルカ10章17~20節