2017年3月18日土曜日

【調べ学習】「名」という言葉

今朝の通読中、エペソ1章21節の「名」ὄνομαという言葉が気になったのでBIBLE HUBのコンコルダンスで調べました。
Strong's Greek: 3686. ὄνομα (onoma)

ギリシャ語の聖書では「名」という言葉が
マタイ10:41にも使われているといいます。
GRK: προφήτην εἰς ὄνομα προφήτου μισθὸν
Nestle GNT 1904のマタイ10:41全文

ὁ δεχόμενος προφήτην εἰς ὄνομα προφήτου μισθὸν προφήτου λήμψεται, καὶ ὁ δεχόμενος δίκαιον εἰς ὄνομα δικαίου μισθὸν δικαίου λήμψεται.


このNestle GNT 1904だけでなくほかのいろいろなギリシャ語聖書に「名」という言葉に相当するギリシャ語ὄνομαがありました。

英語の聖書ではKJVには「名」という言葉があり
KJV: in the name of a prophet
KJV41節全文

He that receiveth a prophet in the name of a prophet shall receive a prophet's reward; and he that receiveth a righteous man in the name of a righteous man shall receive a righteous man's reward.



ところがNIVになるとマタイ10:41ではnameという単語がなくなっているのです。

Whoever welcomes a prophet as a prophet will receive a prophet’s reward, and whoever welcomes a righteous person as a righteous person will receive a righteous person’s reward.


その代わりに「a prophet as a prophet」という表現となっていて、これは新改訳聖書や新共同訳聖書でもつかわれている表現と同じ。
新改訳「預言者を預言者だというので」新共同訳「預言者を預言者として」
ちなみに
日本語の口語訳聖書には「名」という言葉があって

預言者ののゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人ののゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。


と書かれています。

時代の移り変わりとともに「名」というものについて理解が出来なくなっている?ゆえの配慮としての意訳なのでしょうか。
直訳することが必ずしも良いことではないかもしれませんが、
「イエスさまのお名前によって」祈るクリスチャンにとって「名」という概念は重要ですし、エペソ1:21においては新改訳も新共同訳ともに(口語訳も)「すべての名」(新改訳)、「あらゆる名」(新共同訳、口語訳)、と訳しているのですから、マタイ10:41でも「名」という言葉を「名」と訳すことは問題のないことでありますし、そうやって原文に忠実に訳すことによって「名」の重要性を喚起すべきではないかと思いました。