2012年6月8日金曜日

「記者の目:内部被ばく量のデータ=斗ケ沢秀俊」を読んで

元の記事http://mainichi.jp/opinion/news/20120608k0000m070113000c4.htmlリンク切れ

以下 黒い文字が「記事」から
緑色が私の文
昨年9月まで市内の一部が緊急時避難準備区域に指定されていた同県南相馬市にある同市立総合病院によると、昨年9月から今年3月までにWBC検査を受けた9502人中、検出限界以下が6668人、原発事故で放出された放射性物質のセシウム137が体重1キロあたり20ベクレル以上あったのは182人だった。1月以降に測定を受けた中学生以下の子どもの99%は検出限界以下で内部被ばく量が着実に低下していることを示した。
つまり、昨年9月から今年3月までにWBC検査を受けた9502人中2874人は検出限界を超えていた。 放射性セシウム137が体重1キロあたり20ベクレル以上あったのは182人。 1月以降に測定を受けた中学生以下の子どもの1%はいまだ検出限界以上の値を示しているということ。
同県は3月までに県内で実施されたWBC検査(受診者計3万1622人)をもとに生涯の内部被ばく量を推計したところ、26人以外は1ミリシーベルト以下だった。厚生労働省は内部被ばくを年間1ミリシーベルト以下に抑えることを目標にしている。
つまり、WBC検査(受診者計3万1622人)をもとに生涯の内部被ばく量を推計したところ、26人は1ミリシーベルトを超えていた。
福島市の生活協同組合「コープふくしま」は、食事を1食分多く作り、それを検査する「陰膳」方式による放射性物質測定をした。100家庭中、食事1キロあたり1ベクレル以上のセシウムが検出されたのは10家庭。最多でも11.7ベクレルで、自然界に存在して日常的に摂取している放射性カリウムの含有量(1キロあたり15〜58ベクレル)の4分の1程度だった。
つまり、「コープふくしま」の調査によれば、10軒に1軒の割合で食事1キロあたり1ベクレル以上のセシウムが検出された。 最も多かった家庭では、放射性カリウムの分1キロあたり15〜58ベクレルと放射性セシウムの分11.7ベクレルを合わせて摂取していたことになる。 ちなみに、我が家ではお米を一人1か月に約5㎏消費、それにプラスおかずを食べている。
1957年生まれの私やその前後の年齢の人は、大気圏内核実験で発生した放射性物質による被ばくをしている。放射線医学総合研究所の研究者などの調査によると、ピーク時の60年代前半には、成人の体内には数百ベクレルのセシウム137があり、1日4ベクレルほどのセシウムを摂取していた。福島県民の平均被ばく量は子ども時代の私よりも少ないのだ。このレベルの被ばくで健康影響があるとしたら、日本ではがん死が増えているはずだが、年齢調整死亡率は増えていない。
1966年生まれの私も大気圏内核実験で発生した放射性物質による被ばくをしているはずであるが、私は小さな頃から一度もムラサキツユクサが変異している姿を目にしていない。しかし今、我が家のムラサキツユクサの見た目は変わってしまっている。 また、放射能の影響は「がん死」だけに限定できるのだろうか。
東京大大学院理学系研究科の早野龍五教授は「測って結果を公表することが重要」との考えから、昨年9月に「給食まるごとミキサー検査」を提案した。各地でこれが採用され、今年度からは福島県内の全市町村が検査している。南相馬市のWBC検査にも協力している早野さんは測定結果について「内部被ばくが検出されるのは昨年3月に吸入した方が大半で、被ばく量は順調に減っている。現在、食事や吸入により内部被ばくしている人は少ない。調査結果を総合すると、チェルノブイリ周辺地域に比べて、内部被ばく量ははるかに少なく、健康リスクは小さい。測定で比較的高かった人の被ばく量を下げる個別対策が今後の課題となる」と指摘する。
内部被ばくが検出されるのは昨年3月に吸入した方が大半だというのだから、「大半」に含まれない方は3月に吸入した方ではない。 現在、食事や吸入により内部被ばくしている人は少ないということは、「ゼロではない」ということ。 チェルノブイリ周辺地域に比べて、内部被ばく量ははるかに少なく、健康リスクは小さい、ということは、「リスクはゼロ」ではないということ。 測定で比較的高かった人の被ばく量を下げる個別対策が今後の課題、だと言うのだから、やはり「比較的高い人は存在している」ということだ。
原発反対を訴えるために、被ばくの健康影響を過大に言う人が少なくない。私は本欄などで脱原発と核燃料サイクル反対を主張してきた。原発への態度と放射線影響の評価は分けて考えなければならない。データから判断すると、健康影響が出るレベルの被ばく量ではないことは明らかだと私は考える。(編集編成局)
原発反対を訴えるために、被ばくの健康影響を過大に言う人が少なくない、と言うが、人は一人一人が尊く、人の人生は統計ではない。一人でも被害者がいればそれは被害である。一人でも交通事故の被害にあえば事故はあったのであり、被害者はいたのであり、加害者がいたのであり、原因があったのだ。「被ばくの健康影響を過大に言う」という言葉は、「感情が入っているか否かの問題」だろう。分母はともかく一人のがん患者が出たことを「たった一人」と思うのか、「一人の患者も出してはならぬ」と思うのかということだ。がんでなかったとしても、小さな形質異常が起こった場合、「そんなささいなことどうでもいい」と思うのか、「私だけこんなになってしまって自殺したいほどつらい」と思うのかということだ。また「健康影響が出るレベルの被ばく量」という言葉を軽々しく言ってのけるが、日本の法律は国民が被ばくしないように作られていたはずだ。「健康影響が出るレベルの被ばく量」もへったくれもない。 現在起こっている深刻な放射能汚染は、まちがいなく原発由来のものである。汚染によって、本来は被ばくという言葉など考えることなくに人生を送れるはずであった人々に、否、それがたった一人のことであったとしても、要らぬ被ばくをさせた罪はゆるされるものではなく、原発への憎しみにつながって当然ではないだろうか。 この記事が健康被害の可能性のある子どもさんを抱えている親御さんを安心させるために書かれたものであるのなら、まあ良いとは思ったが 最近の原発再稼働容認だとか、40年以上経った原発もOKだとかという流れを推す「脱原発と核燃料サイクル反対を主張」していた記者さんが「転んだ」記事のような気がして 書かずにはいられなかった。